天台寺との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:41 UTC 版)
だんぶり長者伝説の中には、平安時代にこの地区の宗教的中心であった二戸市浄法寺町の天台寺との関連も伝えられている。裕福になった夫婦には子供がいないという悩みがあり、そのため稲庭岳を越えて(稲庭岳には田山方面からの登山道も昔あったとされる)天台寺の桂泉観世音に21日間通い続け、満願の日の夜に、観音のお告げがあり、姫を授かった。夫婦は桂泉の申し子であるというので、姫を桂姫と名付け、天台寺に鰐口を奉納したという伝説も残されている。天台寺がある浄法寺と田山は深い関係があり、天台寺の山膳や五器等の生産地にはだんぶり長者がいた田山が含まれている。物語では、だんぶり長者は元々京都生まれだが、訳あって若い頃に長牛(ながうし)に住んでいた。小豆沢の酒が好きな老人の養子になり、芝刈りなどで働き、その代金で酒を買い老人に呑ませていたという。姫の死後、勅令により姫と長者の霊を弔うため、大日社が小豆沢と長牛、独鈷にそれぞれ建てられたという。 大日社は天台寺の宗派である天台宗との関連が大きい。三湖伝説の一部の縁起物では、八郎太郎の先祖が大館市独鈷や小豆沢の大日堂の別当であったとするものがある。十和田信仰の宗派は天台宗系の熊野権現である。 だんぶり長者伝説の米代川の白い濁りは、915年の十和田火山の大噴火が原因であるとされている。また天台寺も915年の十和田火山の大噴火によって成立した可能性が語られている。
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