天寿国曼荼羅繡帳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 02:55 UTC 版)
聖徳太子が622年に薨去すると、橘大郎女は推古天皇に請うて天寿国曼荼羅繡帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう、天寿国繡帳とも言う)を采女に作らせた。太子が死後に行ったと思われる天寿国の様子が描かれた刺繍(国宝)。現存する日本最古の刺繡。中宮寺に伝わっていたが大部分が失われて残片だけが現存している。(別項「天寿国繡帳」を参照。)
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