だ‐けつ【妥結】
妥協
妥結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 06:46 UTC 版)
イギリスは積極的にフランスを支持した。7月18日、イギリスとフランスは軍事協定を締結。7月21日には、イギリス蔵相ロイド・ジョージが対独強硬演説を行い公然とフランスを支持するなど、事態は全面戦争にまで至るかに見えたが、これと並行して独仏は、7月9日以降問題解決のため交渉を重ね、10月11日にモロッコ協定、11月3日にコンゴ協定がそれぞれ成立した。ドイツはモロッコに対する要求を放棄し、その代償としてフランス領コンゴの一部であったノイカメルーンを獲得し、ドイツ領カメルーンの領土を拡大した。 1912年3月30日、フランスはスルタンとフェス条約を締結。これによりモロッコは、他国の保護に甘んじることとなった。セウタやメリリャなど北部とスペイン領サハラに接する南部はスペインの保護領に、残る大部分の国土はフランスの保護領となった。また、タンジールとその周辺の373平方kmに関しては国際管理都市とされ、列強の勢力均衡が図られた。 この事件は独仏間に大きな遺恨を生ぜしめ、対して英仏関係を強化する結果となった。また、保護国化に反対するモロッコ人民は、これを鎮圧せんとするフランス、スペイン両国の外人部隊と血みどろの抗争を繰り広げることとなるのである。
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妥結
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