宗教改革と初期近代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 18:59 UTC 版)
1521年にマルチン・ルターはローマ教皇から破門されると、ワルトブルク城に匿われた。彼はそこで新約聖書をギリシャ語からドイツ語に翻訳し、それを1522年9月に印刷している(今日、ルター訳聖書と言われているものはその後に改訂を重ねた1534年の訳である)。また、ウィリアム・ティンダル(1494年または1495年? - 1536年)は聖書の英語翻訳を志すが受け入れられず、イギリス国外で翻訳・印刷した英語訳聖書(1526年)をイギリス国内に送り込むのだが、捕らえられて死刑になる。また1531年には改革派にとって重要なチューリッヒ聖書が現れている。これらの聖書は宗教改革において重要な役割を果たした。カトリック教会でも1523年に ルフェーヴル・デタープル(1450年? - 1536年)の翻訳聖書が現れているがこれは基本的にウルガタに依存していた。 英語圏では、欽定訳聖書が1611年に成立するとこれが標準訳としての地位を確立した。ドイツではルター訳聖書が標準訳となり、両者とも近代英語と近代ドイツ語の成立に当たって深い影響を与えた。その他の言語の聖書翻訳の歴史については「翻訳の一覧」の項目を参照されたい。 新世界の言語への翻訳についてはイエズス会 の宣教活動が17世紀の翻訳活動の大部分を主導したが、その後はプロテスタントの宣教活動に徐々に取って代わられていくことになる。
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