宗教的正当化
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「イスラーム教徒による宗教的迫害」の記事における「宗教的正当化」の解説
他の信仰への共存のために用いられるコーランの節、イスラーム法規定、ハディースなどは様々である。 元来イスラーム政権下に於いてイスラーム以外の信仰を信ずるものは、ユダヤ教徒・キリスト教徒など同系の宗教を信じる『啓典の民』とそれ以外に分けられた。啓典の民にはイスラームへの改宗とジズヤの支払いを条件にズィンミーとして一定の権利を認めるのがごく初期のイスラーム政権のあり方であったが、実際にはすぐにそれ以外の信仰を持つ者に対してもズィンミーとして信仰を許容することになり、生命権・財産権や信教の自由を保障された。このことから古典イスラーム法を直接現代に適用した場合、少なくともイスラーム以外の信仰を持つ者に対し保護を行い共存することは正当化しうるとされる。 また一部の原理主義者は、より厳しい異教徒観を持っており、無神論者や多神教徒はズィンミーとなる権利すらなく排斥するのみとする意見もある。更にユダヤ・十字軍に対する聖戦のための国際イスラム戦線やジハード団のようにキリスト教徒・ユダヤ教徒に対しても排斥を訴えるグループもあり、この場合ジハードの教義を持ち出し、「パレスチナで虐殺を続けるイスラエルとアメリカのイスラム世界への圧迫はキリスト教徒とユダヤ教徒のイスラム世界への侵略に他ならないとして」、その主張を正当化している。 シク教徒やバハイ教徒を弾圧する際には『ムハンマドは最後の預言者である』という教理を教条的に解釈し、両教はムハンマド以降に発生したために偽預言者の教えであるとして正当化を計るとされる。
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宗教的正当化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 05:11 UTC 版)
「キリスト教徒による宗教的迫害」の記事における「宗教的正当化」の解説
ローマ帝国の国教となって以降のキリスト教は、教理に関して非常に厳格な内部統制をしき、少しでも教皇をはじめとする主流派指導部の見解にそむいた場合、たとえ東方正教会であっても「異端」のレッテルを貼った。また同系の宗教であるユダヤ教やイスラーム教も含めて、他宗教はすべて無価値な教えとされた。これはカトリック教会が20世紀半ばまで掲げていた「教会の外に救いなし」、およびプロテスタント教会の「キリスト教の外に救いなし」という排他主義的な標語に象徴されている。ただし現在、カトリックは第2バチカン公会議(1962-1965)において、「キリスト教の教えに納得できない者やキリスト教を十分に理解していない者が洗礼を受けなくても、決して滅びることはない」という見解を示しており、プロテスタントも「信仰をもっていない者のことも、神の愛に信頼して任せることができる」と考える教会が多くなっている。 ジョン・ヒックはこのような極端なキリスト教の宗教的エスノセントリズムは、開祖イエスを過度に神格化し、言葉通りの意味で「神」、すなわち三位一体の子なる神であり、全き人であり全き神であるとしたことに由来すると指摘した。この教理に従えば、キリスト教は神自身によって立てられた宗教となり、容易に他宗教を「人間によって作られた偽りの無価値な宗教」と断ずることができるからである。 現在のキリスト教会では、カトリックが一定程度他宗教の存在価値を認める方針を打ち出してはいるものの、依然としてキリスト教の最終的優越性を否定してはおらず、包括主義にとどまっていると批判されている。プロテスタント教会では宗教多元主義者から旧来の排他主義者まで幅広い見解が見られる。
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