宝生九郎とは? わかりやすく解説

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ほうしょう‐くろう〔ホウシヤウクラウ〕【宝生九郎】

読み方:ほうしょうくろう

能楽師シテ方宝生流家元芸名16世知栄(ともはる)[1837〜1917]が有名で、維新後能楽復興尽力明治三名人の一人


宝生九郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/20 09:51 UTC 版)

宝生九郎(ほうしょう くろう)は、シテ方宝生流宗家が使用する芸名。八世から十三世、十六世、十七世の8人が名乗った。特に十六世が有名。




「宝生九郎」の続きの解説一覧

宝生九郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 10:06 UTC 版)

櫻間伴馬」の記事における「宝生九郎」の解説

宝生九郎とは「明治三名人」として並び称され間柄であったが、伴馬の腕を認めた九郎上京当初から何かとその世話を焼き、また伴馬も「九郎先生ほど自分気持理解して下さる人はない」と全幅の信頼寄せた九郎煙草好んだため、煙草屋をやっていた櫻間家から、弓川熊本産の煙草届けていた。 しかし伴馬は吃音の上、強い熊本訛りがあり、家族でさえ話の内容解らないことがあるほどだった。しかも、一方九郎はかなり耳が悪かった意思疎通を心配する弓川に対して、伴馬は「ナーニ、九郎さんは俺の話が一番よく判るんだ」と嘯いていたが、後年池内信嘉弓川語ったところによると、九郎は「伴馬が来ても、何を話して居るのかサツパリ判らなくつて弱るよ」と洩らしていたとのこと。 また九郎舞台に立つ機会恵まれない弓川境遇同情し、伴馬と相談して12年間にわたり、隔月宝生会の舞台客演させた。この舞台のために伴馬は弓川必死稽古をさせ、まさに真剣勝負意気込み臨んだ九郎、また同じ「三名人」の梅若実が、指導者として能楽界に強力な影響力発揮したのとは反対に、伴馬は生涯一能役者として態度貫いたまた、宝生九郎が弟子はおろか弓川についても、能評で誤ったことを書かれればすぐさま反駁したのに対し、伴馬は自分が賞められているのを読んでウム、少しは能が分つて来たカナ」と呑気受け流す、といった具合で、まるで正反対であった

※この「宝生九郎」の解説は、「櫻間伴馬」の解説の一部です。
「宝生九郎」を含む「櫻間伴馬」の記事については、「櫻間伴馬」の概要を参照ください。

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