宿場町として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 06:20 UTC 版)
旧・武蔵国豊島郡下練馬村。江戸時代から旧川越街道の宿場町として下練馬宿が置かれ賑わった。下練馬宿は川越のある北西(下赤塚)側から上宿・中宿・下宿の3つからなり、本陣、脇本陣、問屋場が揃っていた。本陣は後述する「下練馬の大山道道標・東高野山道標」(1753年、宝暦3年建立)の近くにあった。参勤交代で通る大名や鷹狩りに行く綱吉、富士や大山への参詣者、秩父巡礼者らが利用した(後述)。ただ宿泊者は少なく、休憩利用が多かったという。
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