寝太郎のモデル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 03:08 UTC 版)
大内氏家臣の平賀清恒がモデルとされる。父である平賀玄信が信濃で武田晴信によって敗死した後、姉の嫁ぎ先である冷泉隆豊を頼り周防で大内氏に仕官。大寧寺の変により厚狭に落ち延び農作を行っていたところ、水不足に苦しむ農民の声に動かされたと言われている。3年3ヶ月の長期にわたり、日夜思案を重ね、佐渡の金山に出向いてわらじを交換し、ついていた砂金で得た富を厚狭川の灌漑工事にあて農民を救った。名を明かせない事情や後の権力者の圧力などもあり、「平賀清恒」の名はいつしか「寝太郎さま」となり、ストーリーが作られ、地元の窮地を救った象徴・神様として後世に語り継がれていった。 また、江戸時代末期に長州藩が編纂した「防長風土注進案」には、15世紀から16世紀ごろ、寝てばかりで「寝太郎」と揶揄されていた男が堰を作って厚狭川から水を引き、周辺を開墾したという記録があり、山陽小野田市ではこの記録を基に厚狭の寝太郎伝承が成立したとしている。
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