小町とし子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 08:38 UTC 版)
こまち としこ 小町 とし子 | |
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本名 | 吉田 登志子[1] 片岡 登志子 |
生年月日 | 1921年2月3日 |
没年月日 | 1946年3月16日(25歳没) |
出生地 | 日本 東京府東京市神田区 |
死没地 | 日本 東京都渋谷区千駄ヶ谷 |
国籍 | 日本 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1937年 - 1940年 |
配偶者 | 十二代 片岡仁左衛門 (1940年 - 1946年) |
事務所 | 日活 |
主な作品 | |
『嫁ぎ行くまで』 |
小町 とし子(こまち としこ、1921年2月3日[2] - 1946年3月16日)は日本の女優。片岡仁左衛門一家殺害事件の被害者の一人。
略歴
1921年(大正10年)、東京市神田区に生まれる[1]。父と兄が長唄の名取であったため幼時より長唄の手解きを受ける[1]。さらに日本舞踊は藤間甚四郎に師事し、公演の舞台に立つことも度々であったという[1]。1937年(昭和12年)、日活多摩川撮影所に入社すると[1]、欧米旅行中であった原節子の代役として抜擢され、春原政久の『嫁ぎ行くまで』で主演を務める[3]。
その後は専ら助演に回り、倉田文人の『若しも給料が上がったら』や[4]伊賀山正徳の『今日の船出』[5]などに出演。1940年(昭和15年)公開の『街の唱歌隊』を最後に退社し、同年に歌舞伎俳優の十二代 片岡仁左衛門と結婚したが、1946年(昭和21年)3月16日に仁左衛門らと共に自宅で殺害された(片岡仁左衛門一家殺害事件)。
出演作
- 嫁ぎ行くまで(春原政久、1937年3月25日) - 道子 役(主演)[3]
- 日月と共に(水ヶ江龍一、1937年4月23日) - 娘 役[6]
- 若しも給料が上がったら(倉田文人、1937年8月25日) - ウェートレスA 役[4]
- 制服を着た芸妓(春原政久、1937年10月7日) - 晋二の妹 役[7]
- 茶房の花々(春原政久、1938年6月1日) - マリ子 役[8]
- 姉ごころ(田口哲、1938年6月20日) - 豆子 役[9]
- 雲雀(島耕二、1939年3月15日) - 女給・きみ子 役[10]
- 妻の友情(伊賀山正徳、1939年3月22日) - 饅頭屋の娘 役[11]
- 純情の眸(春原政久、1939年5月18日) - 蔦枝 役[12]
- 今日の船出(伊賀山正徳、1939年12月15日) - 啓子 役[5]
- 街の唱歌隊(島耕二、1940年1月6日) - 時子 役[13]
脚注
- ^ a b c d e “小町 とし子”. コトバンク. 2019年10月26日閲覧。
- ^ 『国民年鑑 昭和14年』(国民新聞社、1940年)p.972
- ^ a b “嫁ぎ行くまで”. 日活. 2019年10月26日閲覧。
- ^ a b “若しも給料が上がったら”. 日活. 2019年10月26日閲覧。
- ^ a b “今日の船出”. 日活. 2019年10月26日閲覧。
- ^ “日月と共に”. 日活. 2019年10月26日閲覧。
- ^ “制服を着た芸妓”. 日活. 2019年10月26日閲覧。
- ^ “茶房の花々”. 日活. 2019年10月26日閲覧。
- ^ “姉ごころ”. 日活. 2019年10月26日閲覧。
- ^ “雲雀”. 日活. 2019年10月26日閲覧。
- ^ “妻の友情”. 日活. 2019年10月26日閲覧。
- ^ “純情の眸”. 日活. 2019年10月26日閲覧。
- ^ “街の唱歌隊”. 日活. 2019年10月26日閲覧。
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