尚巴志王
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尚 巴志王(しょう はしおう、1372年(洪武5年) - 1439年6月1日(正統4年4月20日))は、琉球王国の第一尚氏王統・第2代国王(在位:1422年 - 1439年)。尚思紹王の子。1429年、三山(中山・山北・山南)を統一し、琉球王国が成立した。神号は勢治高真物(せじたかまもの)。 [1]
- ^ 沖縄よ何処へ : 琉球史物語 伊波普猷 世界社 昭和3 [1]
- ^ “池宮正治「歴史と説話の間:語られる歴史」” (PDF). 沖縄地域学リポジトリ. p. 30. 2022年2月15日閲覧。[リンク切れ]
池宮正治, 島村幸一「「一巻 歴史叙述・説話伝承論、第二章 歴史と説話の間- -語られる歴史」」『池宮正治著作選集』笠間書院〈全三巻〉、2015年。CRID 1130000794456868352 。 - ^ 上里隆史『誰も見たことのない琉球』ボーダーインク、2008年、87頁参照。
- ^ 『八重山日報』石井望談話連載「小チャイナと大世界」より。 第65囘「佐敷新里の尚巴志、八重山語でも解釈可能」 https://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0210307.html 第85囘「尚巴志は兄者だった、武士の琉球が甦る」。 https://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0210801.html
いしゐのぞむ「古琉球史を書き換へる」『純心人文研究』第28号、長崎純心大学、2022年2月、213-240頁、CRID 1050291768469112064、ISSN 13412027、国立国会図書館書誌ID:032010890。
いしゐのぞむ「尖閣島名の淵源」(下)、日本國際問題研究所寄稿、令和四年三月三十一日。
いしゐのぞむ「尖閣島名の淵源(下)補説」『純心人文研究』第29号、長崎純心大学、2023年2月、236-210頁、CRID 1050295491694965760、ISSN 13412027。など。 - ^ 和田久徳『琉球王国の形成・三山統一とその前後』(榕樹書林、2006年)所収(和田久徳「琉球国の三山統一についての新考察」『お茶の水女子大学人文科学紀要』第28巻第2号、お茶の水女子大学、1975年3月、13-39頁、CRID 1520572360381824384、ISSN 04724682、国立国会図書館書誌ID:1537419。)、「琉球国の三山統一再論」(1987年)に見える。
- ^ いしゐのぞむ「驚愕の古琉球史」、『純心人文研究』第30号、令和6年(2024年)2月。https://ci.nii.ac.jp/ncid/AN10486493
- ^ 「統一独立の琉球なかった」 石井氏が新説、第一尚氏も否定 八重山日報令和六年六月十六日 https://yaeyama-nippo.co.jp/archives/23433
- ^ https://www.youtube.com/watch?v=FrlYXLGECuY 「琉球史の定説を覆す”新琉球史” 三山統一は真っ赤な嘘!」石井望、日本沖縄政策研究フォーラム、R6/6/25、チャンネル桜沖縄支局「沖縄の声」
- ^ 第一尚氏物語・大盛永意著
尚巴志
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「まんが首里城ものがたり」の記事における「尚巴志」の解説
武寧を倒して父・思紹を王位につけた。第一尚氏王朝事実上の創業者。1416年には北山を、1429年には南山を平定して統一を果たす。
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