岐阜陸軍航空整備学校
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岐阜陸軍航空整備学校(ぎふりくぐんこうくうせいびがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつである。主として少年飛行兵となる生徒に対し、航空兵器の整備に関する教育を行った。1943年(昭和18年)4月に開設され、学校本部および本校は岐阜県稲葉郡(現在の各務原市東部)に置かれたほか、奈良県奈良市に同校の奈良教育隊があった。
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注釈
- ^ 材料廠(ざいりょうしょう)とは、器材の修理、補給、管理などを行う部署のこと。
- ^ 岐阜陸軍航空整備学校令制定の理由には「航空兵器ノ整備ニ従事スル少年飛行兵及少年飛行兵ト為スベキ生徒ノ増加ニ伴ヒ岐阜陸軍航空整備学校ヲ新設シ之ガ教育ヲ行フノ要アルニ依ル」と記されている。「公文類聚・第六十七編・昭和十八年・第十四巻・官職八・官制八(大蔵省二・陸軍省)(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03010073500
- ^ 隷属(れいぞく)とは固有の上級者の指揮監督下に入ること。単に指揮系統だけでなく、統御、経理、衛生などの全般におよぶ。『帝国陸軍編制総覧 第一巻』61頁
- ^ 召募(しょうぼ)とは募集のこと。陸軍では召募の表現を使った。
- ^ この場合の召集とは在郷軍人を軍隊に召致することではなく、すでに軍務についている軍人を特別教育のため指名することである。
- ^ 軍令の正式名称は「在内地陸軍航空教育部隊編成、復帰要領」。
- ^ 熊谷陸軍飛行学校、大刀洗陸軍飛行学校、所沢陸軍航空整備学校、岐阜陸軍航空整備学校の4校が平時編制上閉鎖された。
- ^ そのほかに岐阜陸軍航空整備学校を基幹としない第8航空教育隊が、第4航空教育団の隷下に入った。
出典
- ^ 『陸軍航空の軍備と運用(3)』37-38頁
- ^ 「御署名原本・昭和十八年・勅令第二二四号・岐阜陸軍航空整備学校令(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022811800
- ^ 「陸密綴昭和19年(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C01007849300
- ^ a b 『翼をささえて』19頁
- ^ 「陸密綴昭和19年(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120509900
- ^ 「陸密綴 昭和20年(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120511100
- ^ 『陸軍航空の軍備と運用(3)』261頁
- ^ 「在内地陸軍航空教育部隊編成復帰要領 同細則 昭20.2.13(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C14010702300
- ^ 「航空総軍編制人員表(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12121028300
- ^ 「在内地陸軍航空教育部隊編成復帰要領 同細則 昭20.2.13(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C14010703300
- ^ 「大陸命綴 (終戦に関する書類) 昭和20年8月15日~20年8月21日 (第1381~1387号) (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C14060914200
- ^ 防衛省公式サイト岐阜基地
- ^ 「陸軍異動通報 4/6 昭和19年7月1日~8月31日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120916200
- ^ 「陸軍異動通報 4/6 昭和19年7月1日~8月31日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120916300
- ^ a b 「陸軍異動通報 2/4 昭20年(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120934000
- ^ a b c 「陸軍異動通報 2/4 昭20年(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120934200
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- 2 岐阜陸軍航空整備学校の概要
- 3 歴代校長等
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