岡倉天心と富田幸次郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 岡倉天心と富田幸次郎の意味・解説 

岡倉天心と富田幸次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:33 UTC 版)

ボストン美術館」の記事における「岡倉天心と富田幸次郎」の解説

岡倉天心(1862-1913)は、東京美術学校(後の東京芸術大学創設尽力し日本美術院創設し日本画興すなど、近代日本美術史研究美術教育伝統美術復興文化財保護などに多大な貢献をした人物で、英文著作通じて日本文化外国紹介することにも尽力した。彼は1904年ボストン美術館入り1910年には東洋部長となったボストン美術館には快慶作・弥勒菩薩立像など、天心コレクション入っている。 富田幸次郎(1890-1976)は天心弟子で、10代の時から半世紀以上ボストン美術館在職し1931年から1962年までは東洋部長地位にあって日米文化交流貢献した日本絵巻物代表作である「吉備大臣入唐絵巻」は、1932年富田を介してボストン美術館入った当時の世相下で、富田日本貴重な美術品アメリカ売った国賊」とののしられた。実はこの絵巻ボストン美術館に入る数年前から日本国内売り出ていたものだったが、不況下の日本買い手つかないため、ボストン美術館購入したというのが真相だった。

※この「岡倉天心と富田幸次郎」の解説は、「ボストン美術館」の解説の一部です。
「岡倉天心と富田幸次郎」を含む「ボストン美術館」の記事については、「ボストン美術館」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「岡倉天心と富田幸次郎」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「岡倉天心と富田幸次郎」の関連用語

岡倉天心と富田幸次郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



岡倉天心と富田幸次郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのボストン美術館 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS