岸和田高等女学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 23:43 UTC 版)
「大阪府立和泉高等学校」の記事における「岸和田高等女学校」の解説
泉南高女へ改称から13年後の1928年(昭和3年)4月、再び改称され大阪府立岸和田高等女学校となった(3月23日の文部省告示第175号で認可)。ただ、改称の経緯を示す資料ははっきりと残っていない。なお、同時に校名を改称された他の高女3校(河南高女→富田林高女・現河南高校、河北高女→寝屋川高女・現寝屋川高校、三島高女→茨木高女・現春日丘高校)も「(1)郡立として設置されて府立に移管された。(2)旧校名は郡名に由来する。(3)改称後の新校名は学校所在地の地名に由来する」という共通点を持つことから、大阪府から何らかの指示があったのではないかと推測されている。 昭和初期の太平洋戦争戦局悪化に伴い、1938年に勤労奉仕が、1943年に勤労動員が始まった。勤労動員では3年生以上が学校近辺の日紡貝塚や東洋紡岸和田工場などに、1・2年生は学校農場の農作業や校庭の開墾作業に動員された。また応召に伴う教員不足を補うため、1941年6月に岸和田臨時教員養成所も併設。1945年に戦時臨時措置により4年生での卒業に短縮された。
※この「岸和田高等女学校」の解説は、「大阪府立和泉高等学校」の解説の一部です。
「岸和田高等女学校」を含む「大阪府立和泉高等学校」の記事については、「大阪府立和泉高等学校」の概要を参照ください。
- 岸和田高等女学校のページへのリンク