すじん‐てんのう〔‐テンワウ〕【崇神天皇】
崇神天皇
この「はつくにしらすすめらみこと」という称号は神武天皇と同じであるが、崇神天皇については現在多くの学者・研究者によってその存在が認められている。
「崇神天皇こそ実在した初めての天皇であり、神武天皇は崇神天皇の投影によって創りあげられた像である」とまでいわれている。
この天皇については多くの伝承があり、「疫病が流行って多くの人が死んだので大物主神の子孫にあたる大田田根子に三輪山の大神神社に大物主神を祭らせたところ疫病が収まった」という伝承や、また「四道将軍の大彦命が山背の平坂へ行くと一人の少女が歌をうたい御間城入彦(崇神)の命を狙っているものがいるとの啓示を受け、すぐに御間城入彦にしらせ、倭迹迹日百襲姫にご神託を受けさせたところ、武埴安彦とその妻の吾田媛が謀反を起こす前兆ですと答え、御間城入彦はこれをなんなく討取った」という伝承がある。
この崇神天皇までは「四道将軍」を派遣するなどといういわば政治的な要素はあまりなかったが、崇神天皇になると現実味をおびてくる。
これは崇神王朝が諸国の征服・統一に乗出したということであろうか。
ところで御間城入彦の母は物部氏の遠祖の大綜麻着杵の娘伊香色謎命であるが、この物部氏が王朝の成立に大きく影響を与えているということも見逃せない研究材料ではある。
皇妃の欝色謎命の父は穂積氏遠祖の欝色雄命であるがこの穂積氏も元を辿ると物部氏に繋がる。
なお、倭迹迹日百襲姫を卑弥呼に、御間城入彦を男弟に、豊鍬入姫命を台与(壱与)に比定する説がある。
第10代天皇 | |
天皇名 | 崇神天皇 |
読み方 | すじんてんのう |
名・諱等 | 御間城入彦五十瓊殖尊 |
読み方 | みまきいりびこいにえのみこと |
時代区分 | 神代 |
天皇在位 | 前97?年から前30?年 |
生年 | 生年不詳 |
没年 | 没年不詳 |
父 | 開化天皇 |
母 | 伊香色謎命 |
兄弟 | 彦坐王 |
配偶者 | 御間城姫 |
皇子女 | 活目入彦五十狭茅尊 |
即位宮 | 磯城瑞籬宮 |
天皇陵 | 山邊道勾岡上陵 |
所在地 | 奈良県天理市柳本町 |
崇神天皇 山邊道勾岡上陵
(すじんてんのう やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)
崇神天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/19 02:53 UTC 版)
崇神天皇(すじんてんのう、旧字体:崇神󠄀天皇、開化天皇9年または10年[注 1] - 崇神天皇68年12月5日[1])は、日本の第10代天皇(在位:崇神天皇元年1月13日 - 同68年12月5日)。『日本書紀』での名は、御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)。祭祀、軍事、内政においてヤマト王権国家の基盤を整えたとされる
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