パリ【Paris】
巴里
名字 | 読み方 |
巴里 | ぱり |
巴里
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 08:02 UTC 版)
村上要信は、馬のうち1頭のイロンデールは巴里と名づけられ、1877年(明治10年)頃、下総御料牧場の前身で村上の兼務先の下総種畜場、後に駒場農学校、さらに、上野の博物館での飼育を見た事と、この牝馬は子を全く産まなかった事を記している。1909年廣澤安任(談)『奥隅馬誌』に、子孫を残した馬もいるらしいが、騒擾で散亡し功を奏しなかった事、下総種苗場で残馬を見た事、1886年(明治19年)の『時事新報』に生存するのは29歳のハリー号だけで駒場農学校にいる事等がある。『三四郎』に、野々宮君の先生が学生だった時分、「馬の先生」が酒代のため、構内で飼っていたナポレオン三世時代の白い老馬を売ったという話がある。構内は本郷を指すと考えられるが、東大に複数のナポレオン三世の馬がいた可能性より、駒場の話が入り込んだ可能性の方が高い。澤護は、1892年(明治25年)エルグエタガ生存の新聞記事を紹介しており、青(黒)の毛色の外の特徴も、『取調書』と一致する。野々宮君の先生が学生の時分は漱石が学生の時分と重なるが、エルグエタガは葦毛の白馬ではない。漱石自身が聞いた話と考えられるが、「まさかナポレオン三世時代でもなかろう」とあり、信じていたか不明である。外に、上野動物園でのナポレオン三世から贈(送)られた馬の生存の話が、1888年前掲『取調書』、1893年(明治26年)、子供向けの学齢舎『教育動物園』にあり、当時、広く知られていた事が示唆される。前掲『宮崎鹿児島両県産馬調査報告』によると、1894年(明治27年)に死亡した。
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