常滑小学校時代(1949年 - 1970年)
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「常滑市立図書館」の記事における「常滑小学校時代(1949年 - 1970年)」の解説
太平洋戦争後すぐの時期に常滑町長を務めていた滝田次郎は、若き日のドイツ留学時に図書館も見学しており、図書館法公布以前から図書館の復興を急務と考えていた。滝田は愛知県立常滑高等学校で事務職員を務めていた庭瀬ゆりを図書館主任に抜擢し、1949年(昭和24年)9月1日に町立常滑図書館が開館。常滑小学校の南西隅にある28坪の教室を閲覧室とし、10坪の書庫を新築している。常滑市立常滑小学校にあった図書の整理を行ったほか、開館に先駆けて新たに購入しており、開館時の蔵書数は約3,000冊だった。開館時間は「10時-16時」であり、当初は館内閲覧のみだった。なお、図書館法が公布されたのは常滑市立図書館の開館後の1950年(昭和25年)のことである。 1952年(昭和27年)後半には蔵書数が約6,000冊まで増えたため、1人1冊に限って館外貸出を開始した。貸出券の発行時には100円(300円)の補償金を預かり、1日5円の延滞料を取った。1954年(昭和29年)4月1日には常滑町・大野町・西浦町・鬼崎町・三和村の4町1村が合併して常滑市が発足し、町立常滑図書館は常滑市立図書館に改称した。1958年(昭和33年)には蔵書数が約11,000冊となった。1967年(昭和42年)初頭の蔵書数は約17,000冊だったが、同年1月21日には隣接する農具小屋の火災が書庫に類焼し、消火水を浴びた図書約5,000冊が閲覧不可能となった。 1970年(昭和45年)の閉館時点で蔵書数は約18,000冊であり、ひと月に約1,000人が利用し、ひと月に約1,700冊が読まれていた。しかし木造平屋建ての館内は狭いうえに老朽化が進み、採光もあまりよくなかった。このため、市民からは新館の建設が要望され、常滑競艇場による収入の見通しもあったことから、久田慶三市長は愛知県下に類のない立派な図書館の建設を思い立った。
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