常滑小学校時代とは? わかりやすく解説

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常滑小学校時代(1949年 - 1970年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 23:45 UTC 版)

常滑市立図書館」の記事における「常滑小学校時代(1949年 - 1970年)」の解説

太平洋戦争後すぐの時期常滑町長を務めていた滝田次郎は、若き日ドイツ留学時に図書館見学しており、図書館法公布以前から図書館復興急務考えていた。滝田愛知県立常滑高等学校事務職員務めていた庭瀬ゆりを図書館主任抜擢し1949年昭和24年9月1日町立常滑図書館開館常滑小学校南西隅にある28坪の教室閲覧室とし、10坪の書庫新築している。常滑市常滑小学校にあった図書整理行ったほか、開館先駆けて新たに購入しており、開館時蔵書数は約3,000冊だった。開館時間は「10時-16時」であり、当初館内閲覧のみだった。なお、図書館法公布されたのは常滑市立図書館開館後1950年昭和25年)のことである。 1952年昭和27年後半には蔵書数が約6,000冊まで増えたため、1人1冊に限って館外貸出開始した貸出券発行時には100円300円)の補償金預かり1日5円延滞料取った1954年昭和29年4月1日には常滑町大野町西浦町鬼崎町三和村の4町1合併して常滑市発足し町立常滑図書館常滑市立図書館改称した1958年昭和33年)には蔵書数が約11,000となった1967年昭和42年初頭蔵書数は約17,000冊だったが、同年1月21日には隣接する農具小屋火災書庫類焼し消火浴びた図書約5,000冊が閲覧不可となった1970年昭和45年)の閉館時点蔵書数は約18,000冊であり、ひと月に約1,000人が利用しひと月に約1,700冊が読まれていた。しかし木造平屋建て館内は狭いうえに老朽化進み採光もあまりよくなかったこのため市民からは新館の建設要望され常滑競艇場による収入見通しもあったことから、久田慶三市長愛知県下に類のない立派な図書館建設思い立った

※この「常滑小学校時代(1949年 - 1970年)」の解説は、「常滑市立図書館」の解説の一部です。
「常滑小学校時代(1949年 - 1970年)」を含む「常滑市立図書館」の記事については、「常滑市立図書館」の概要を参照ください。

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