平賀書簡問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 04:25 UTC 版)
1969年、北海道長沼町の保安林解除処分の執行停止申し立て事件(いわゆる長沼ナイキ基地訴訟)は、保安林への自衛隊基地の建設をめぐり自衛隊の合憲性を争点とするものとなった。 詳細は「長沼ナイキ事件」を参照 札幌地方裁判所所長であった平賀は、裁判の長沼ナイキ事件の裁判長であった福島重雄に対し、数度にわたり口頭で保安林解除を認める国側の主張に沿った判断を下すよう指導、福島が指導を聞き入れないとみると「一先輩のアドバイスとして、参考になるようなら判断の一助にしてください」とする書き出しで改めて判断を翻すことを促す書簡を送った。この書簡は後日、平賀書簡と呼ばれ裁判に干渉する行為として注目された。1969年9月20日に開かれた最高裁判所臨時裁判官会議では、平賀書簡について「先輩として親切心からでたものであるといえ節度を超えるもの」とする最高裁としての所信を明らかにした上で、平賀に対して裁判所法第八十条第一項の監督権に基づき注意処分を与えた。平賀は同日付で東京高等裁判所判事に異動した。
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