延安府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 23:21 UTC 版)
延安府(えんあんふ)は、中国にかつて存在した府。宋代から民国初年にかけて、現在の陝西省延安市一帯に設置された。
概要
1089年(元祐4年)、北宋により延州が延安府に昇格した。延安府は永興軍路に属し、膚施・延川・延長・門山・臨真・甘泉・敷政の7県を管轄した[1]。
金のとき、延安府は鄜延路に属し、膚施・延川・延長・門山・臨真・甘泉・敷政の7県と永平・万安・徳安・招安・永安の5寨と安定・安寨の2堡と楽盤鎮を管轄した[2]。
元により延安府は延安路と改められた。延安路は陝西等処行中書省に属し、直属の膚施・安塞・甘泉・安定・保安・宜川・延川・延長の8県と鄜州に属する洛川・中部・宜君の3県と綏徳州に属する青澗・米脂の2県と葭州に属する呉堡・神木・府谷の3県、合わせて8県3州州領8県を管轄した[3]。
1369年(洪武2年)、明により延安路は延安府と改められた。延安府は陝西省に属し、直属の膚施・安塞・甘泉・安定・保安・宜川・延川・延長・青澗の9県と鄜州に属する洛川・中部・宜君の3県と綏徳州に属する米脂県と葭州に属する呉堡・神木・府谷の3県、合わせて3州16県を管轄した[4]。
清のとき、延安府は陝西省に属し、膚施・安塞・甘泉・安定・保安・宜川・延川・延長・定辺・靖辺の10県を管轄した[5]。
脚注
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