彷徨五年の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:44 UTC 版)
聖武天皇が彷徨五年を開始する前の数年間は天災や疫病が多発していた。天平4年(732年)夏の干ばつと、翌天平5年の飢饉と、飢饉によって体力を失った庶民が疫病の流行で多数亡くなった、天平6年4月7日には平城京と周辺の畿内諸国に大きな被害を与えた大地震が発生した。天平7年(735年)8月に大宰府からの「疫病による死者が多い」との知らせに始まった天然痘の流行は翌年には一旦収まるが、天平9年に再度大流行した。この年の天然痘の流行は非常に大規模なもので、当時の政権中枢にいた藤原四兄弟が4人とも亡くなり、日本人口の25から35%、あるいは30から50%が減ったとされる。平城京内には多数の死骸が放置され屍臭が内裏まで漂った。以後の聖武は藤原四兄弟に替わって太政官の主班となった橘諸兄とともに窮民救済に当たると同時に、仏教の力によってこの穢れを浄化する政策を強力に進め始める。
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