後世の芸術作品への影響
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「ホメーロス」の記事における「後世の芸術作品への影響」の解説
ホメーロスが実在したか、あるいは1つの人格であるのかといった問題はさておき、ホメーロスが古代ギリシアにとって、最初の最も高名な詩人であり、古代ギリシアは文化と教養の多くを彼に負っていると言っても誇張ではない。また「西洋文学の父」として、古代ギリシアの古典期、ヘレニズム時代、ローマ時代、(西欧でギリシア語の知識が部分的に失われた中世は除く。この時代、ホメーロスの文学はギリシア人が支配階層となった東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)に受け継がれ、東ローマの官僚・知識人の間ではホメーロスの詩を暗誦できるのが常識とされていた)、ルネサンスから現代に至るまで、ホメーロスは西洋文学において論じられている。 文学 ヴィクトル・ユーゴーは『ウィリアム・シェイクスピア』においてホメーロスのことをこう書いた――「世界が生まれ、ホメーロスが歌う。この夜明けの鳥である。」 オノレ・ド・バルザックはホメーロスを極めて高く位置付けてこう書いた――「その国に一人のホメーロスを与えるというのは、神の領域への侵犯ではないか?」 ホメーロスは盲目の詩人であり、身体的な障害を詩的な天分が埋め合わせたのだと当初は考えられていた。このため、後世の数多くの高名な詩人や作家たちが盲目であるためにホメーロスに結び付けて考えられた。例を挙げれば、叙事詩『失楽園』の著者ジョン・ミルトン、セルビアのguzlar[訳語疑問点]のFilip Višnjić[訳語疑問点]、ドゴン族の狩人Ogotemmêli[訳語疑問点]、さらに最近ではアルゼンチンの作家・詩人ホルヘ・ルイス・ボルヘスなどである。 ルキアノスは多くの対話篇においてホメーロスを登場させている。 イスマイル・カダレの『Hに関する書類(フランス語版)』は、ホメーロス問題を解決する野望を持ちラプソドスたちの口承叙事詩を記録すべくアルバニアを訪れた2人のホメーロス学者の物語である。 絵画 レンブラント・ファン・レイン『ホメーロスの胸像を前にしたアリストテレス』(1653) シャルル・ニコラ・ラファエル・ラフォン『ホメーロスのために歌うサッポー』(1824) ドミニク・アングル『ホメーロスの神格化(フランス語版)』(1827) オーギュスト・ルロワール『ホメーロス』(1841) ウィリアム・アドルフ・ブグロー『ホメーロスと案内人』(1874) 彫刻 アントワーヌ=ドニ・ショーデ『ホメーロス』(1806) フィリップ=ローラン・ロラン(フランス語版)『ホメーロス』(1812)
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