後半期
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西区Ⅳ下層、Ⅳ中層、東区Ⅴ層、Ⅳ下・中層、Ⅳ上層が該当する。 東区Ⅴ層:石器5点、うちナイフ形石器2点、剥片2点、砕片1点。黒曜石1点の産地分析の結果は、すべて小深沢産であった。礫群6基を伴う。 西区Ⅳ下層:石器354点が3カ所の集中部他から出土している。内訳はナイフ形石器2点、スクレイパー3点、二次加工剥片7点、石核15点、剥片286点、砕片45点、ハンマー1点。チャート製のものが大半を占め、他に粘板岩、黒曜石、ホルンフェルスなども利用されている。黒曜石7点の産地分析の結果は、すべて畑宿産であった。6カ所の礫群を伴う。 西区Ⅳ中層:石器29点が1カ所の集中部他から出土している。内訳はスクレイパー1点、二次加工剥片1点、石核1点、剥片25点、砕片1点。チャート製、粘板岩製のものが半々である。礫群2基を伴う。 東区Ⅳ下・中層:東区では多量の石器が連続的に出土したため、区分されず一括で報告された。3356点の石器が11カ所の集中部他から出土している。内訳はナイフ形石器63点、スクレイパー34点、彫器2点、二次加工剥片27点、使用痕剥片14点、石核78点、剥片1452点、砕片1677点、礫器1点、ハンマー5点、磨石2点、その他1点。黒曜石製のものと粘板岩製のものが半々を占め、他にホルンフェルス、水晶、安山岩(玄武岩)なども利用されている。45カ所の礫群・配石を伴う。 東区Ⅳ上層:262点の石器が4カ所の集中部他から出土した。内訳はナイフ形石器8点、石槍5点、スクレイパー4点、二次加工剥片12点、石核3点、剥片140点、砕片100点、台石1点。黒曜石製のものが最も多く、次いでチャートなどが利用されている。礫群8基、配石4基を伴う。
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後半期
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Ⅳ下層、Ⅳ中2層、Ⅳ中1層、Ⅳ上層が該当する。 Ⅳ下層:石器285点が5カ所の集中部から出土した。内訳はナイフ形石器11点、台形様石器1点、角錐状石器1点、スクレイパー7点、彫器1点、使用痕剥片1点、石核17点、剥片243点、石核再生剥片2点、ハンマー1点。黒曜石製のものがもっとも多く、次いで砂岩、珪質粘板岩なども利用している。礫群13基を伴う。 Ⅳ中2層:石器705点が9カ所の集中部から出土した。内訳はナイフ形石器44点、台形様石器11点、角錐状石器6点、スクレイパー9点、彫器1点、ドリル1点、使用痕剥片19点、石核36点、剥片577点、礫器1点。黒曜石製のものがもっとも多く、次いでチャート、砂岩なども利用している。礫群13基を伴い、とくに3号礫群は直径8mの範囲から2544点(計399kg)の礫が出土した。日本列島の後期旧石器時代において最大級の礫群である。 Ⅳ中1層:石器209点が13カ所の集中部から出土した。内訳はナイフ形石器41点、スクレイパー3点、彫器6点、使用痕剥片13点、石核17点、剥片210点(石刃多数を含む)、石核再生剥片1点、礫器7点、磨石1点。大半が凝灰岩製で、他にチャート、珪質粘板岩なども利用している。礫群11基を伴う。ナイフ形石器は二側縁加工のものが卓越し、先断形が伴う。いわゆる「砂川型式期」に該当する。 Ⅳ上層:石器145点が2カ所の集中部から出土した。内訳はナイフ形石器7点、台形様石器1点、石槍4点、スクレイパー6点、彫器5点、使用痕剥片5点、石核4点、剥片114点、礫器1点。大半が黒曜石製である。礫群2基、配石1基を伴う。
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後半期
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A地点(第1次調査、第2次調査)、B地点Ⅴ上層・Ⅳ下層・Ⅳ中層・Ⅳ上層が該当する。B地点Ⅳ上層は石刃を素材とする二側縁加工のナイフ形石器を主体とする後半期中葉、その他は基部加工・切出形など多様な形態のナイフ形石器が認められる後半期前葉に位置づけられる。 A地点Ⅳ層:第2次調査では基部加工、切出形のナイフ形石器と角錐状石器、スクレイパー(刃部円形掻器)が出土している。礫群からみて複数の文化層に分けられると考えられる。第1次調査は立川ローム層の標準考古学層序の確立前であったが、第2次調査の所見からみてⅣ層中の出土であったと考えられる。 Ⅴ上層:石器は磨石のみ9点が出土した。礫群2期を伴う。 Ⅳ下層:石器945点が5ヵ所の集中部から出土した。内訳はナイフ形石器22点、台形石器7点、角錐状石器6点、スクレイパー15点、ドリル5点、使用痕剥片24点、石核48点、剥片547点、砕片249点、礫器9点、ハンマー5点、磨石8点。凝灰岩製のものが大半を占め、他に黒曜石、安山岩、チャートも利用している。黒曜石117点の産地分析の結果は、柏峠産53点、畑宿産41点、小深沢産13点、星ヶ塔産8点、麦草峠産1点、高原山産1点であった。礫群18基を伴う。 Ⅳ中層:石器232点が3カ所の集中部から出土した。内訳はナイフ形石器10点、石槍3点、角錐状石器1点、スクレイパー5点、使用痕剥片3点、石核8点、剥片134点、砕片62点、礫器3点、ハンマー1点、磨石1点。大半が黒曜石製である。黒曜石19点の産地分析の結果は、柏峠産16点、星ヶ塔産2点、小深沢産1点であった。 Ⅳ上層:石器1450点が5ヵ所の集中部から出土した。内訳はナイフ形石器45点、スクレイパー9点、使用痕剥片11点、石核17点、石核打面再生剥片6点、剥片333点、砕片1024点、礫器3点、ハンマー1点、磨石1点。粘板岩製がもっとも多く、次いでチャート、安山岩なども利用している。黒曜石11点の産地分析の結果は、小深沢産4点、柏峠産2点、星ヶ塔産2点、男女倉産2点、畑宿産1点であった。
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後半期
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1970年6月23日、下院議員選挙への立候補を表明。民主党予備選挙では、後に州知事となるエドガー・ハーシュラー州議員を大差で破り、本戦では共和党のハリー・ロバーツとの接戦の末、608票差の僅差で当選を果たした。1972年の民主党大統領予備選では、エドモンド・マスキー上院議員が最もバランスの取れた候補者であると評価したが、その後フロリダ州マイアミビーチで開催された全国大会ではジョージ・マクガバンに投票した。 その後も、ロンカリオは再選を続け、1976年選挙では対立候補に2万票近い差を付けて当選するなど、安定した支持を獲得していた。 ウォーターゲート事件では、「決定的証拠(Smoking Gun)」と呼ばれる録音テープが公開されるまで民主党から離れて無所属を貫き、ニクソン大統領の弾劾を支持した。彼はスピロ・アグニューの辞任後、新しい副大統領が確定した後に弾劾裁判が行われるべきだと述べ、1973年には下院少数党院内総務のジェラルド・フォードの副大統領就任に賛成した。ニクソンが辞任し、フォードが大統領に就任すると、ロンカリオはネルソン・ロックフェラーの副大統領就任に賛成した。 1977年9月17日、母校ワイオミング大学でフットボールの試合に参加した際、1978年選挙には出馬しないことを発表し、知事選ではエドガー・ハーシュラー元州議を支持することを表明した。1978年選挙では、元ホワイトハウス首席補佐官で共和党のディック・チェイニーが大勝し、ロンカリオは1978年12月30日に早々と辞任した。
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後半期
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「ヴァレンティン・セローフ」の記事における「後半期」の解説
1887年にセローフはオリガ・トルゥフニコバと結婚した。妻と子供は作品の多くで対象となった。注目すべきことに、絵画「子供たち」は彼の息子ユーラとサーシャであった。 1900年代始めの晩期、セローフは巡回運動にわずかに不満であった。そして影響力あるロシアの芸術団体で美術雑誌芸術世界のメンバーであった。20世紀の始め、セローフは様式的転換点にあった。印象派主義的な特徴は彼の作品から姿を消し、モダニズム的様式を展開したが、彼の主題における天性の誠実さと現実的包容力は不変であった。20世紀はじめのセローフは英雄的な肖像画を描いていた。ファッショナブルな肖像画の中に作家、俳優、音楽家等の芸術家の表情豊かな描写に焦点を当てた。(マキシム・ゴーリキーの肖像画(1904年)はモスクワのA.M.ゴーリキー博物館に所蔵、マリヤ・イェロモロヴァ(1905年) 、フョードル・シャリアピン(1905年)は共にトレチャコフ美術館に所蔵されている) セローフの民主的な信念は1905年から1907年までの革命の際に明確に示され、風刺的な絵の数々を描いた。1903年以来、帝国美術アカデミー正会員の彼は1月9日の血の日曜日に対する抗議の意思表示として1905年に辞任した。彼は晩期、歴史的絵画において創造性を表現し、(狩猟に出発するピョートル2世と皇后エリザヴェータ・ペトロヴナ, 1900年, ロシア美術館)、そしてまた画期的な出来事を歴史的持続性でもって網羅し、その深みを示した。(ピョートル1世, ディステンパー, 1907年, トレチャコフ美術館) 生涯最後の年、古典的神話の主題による作品が目立つ。古代の伝統からの像に対応しつつ、個人的解釈で古典的な題材をそなえもった。 バレンティンは1911年12月5日にモスクワで亡くなり、ノヴォデヴィチ墓地に埋葬された。
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後半期
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Ⅴ層、Ⅳ下層、Ⅳ中層、Ⅳ上層、Ⅲ下層が該当する。 Ⅴ層:石器153点が18カ所の集中部から出土した。内訳はナイフ形石器3点、二次加工剥片27点、石核12点、剥片87点、砕片17点、ハンマー1点、チャンク6点。黒曜石製、次いでチャート製のものが多く、ほかに頁岩(シルト岩)、安山岩(玄武岩)も利用している。計4点の産地分析の結果、黒曜石は柏峠産2点、畑宿産1点、小深沢産1点であった。礫群12基を伴う。 Ⅳ下層:石器218点が28カ所の集中部から出土した。内訳はナイフ形石器6点、角錐状石器2点、スクレイパー2点、二次加工剥片19点、石核23点、剥片133点、砕片17点、ハンマー4点、チャンク12点。黒曜石製とチャート製がおよそ半々を占め、ほかに安山岩(玄武岩)、頁岩(シルト岩)も利用している。計8点の産地分析の結果、黒曜石は柏峠産4点、畑宿産2点、麦草峠産1点、男女倉産1点であった。礫群25基を伴う。 Ⅳ中層:石器533点が15カ所の集中部から出土した。内訳はナイフ形石器26点、石槍2点、角錐状石器2点、スクレイパー5点、二次加工剥片55点、石核27点、剥片314点、砕片92点、ハンマー3点、チャンク7点。黒曜石製とチャート製がおよそ半々を占め、ほかに頁岩(シルト岩)、安山岩も利用している。計31点の産地分析の結果、黒曜石は麦草峠産7点、柏峠産7点、男女倉産6点、星ヶ塔産6点、畑宿産5点であった。礫群20基を伴う。 Ⅳ上層:石器65点が2カ所の集中部から出土した。内訳はナイフ形石器4点、二次加工剥片6点、石核5点、剥片38点、砕片10点、礫器1点、ハンマー1点。黒曜石製、次いでチャート製が多い。計6点の産地分析の結果、黒曜石は麦草峠産3点、柏峠産1点、畑宿産1点、星ヶ塔産1点であった。礫群2基を伴う。 Ⅲ下層:石器262点が3カ所の集中部から出土した。内訳はナイフ形石器2点、石槍3点、角錐状石器1点、細石刃1点、スクレイパー1点、二次加工剥片16点、石核4点、剥片83点、砕片149点、礫器1点、チャンク1点。黒曜石製が大半で、他にチャート、頁岩(シルト岩)なども利用されている。計8点の産地分析の結果、黒曜石は麦草峠産4点、柏峠産1点、畑宿産1点、小深沢産1点、男女倉産1点であった。礫群1基を伴う。
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