御子左家とは? わかりやすく解説

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みこひだり‐け【御子左家】

読み方:みこひだりけ

藤原道長の六男長家醍醐天皇皇子左大臣源兼明邸宅を伝領したころから平安末期から鎌倉初期にかけて、藤原俊成定家・為家(ためいえ)3代中心とする和歌師範家としての家系。為家の子為氏(ためうじ)・為教(ためのり)・為相(ためすけ)はそれぞれ二条京極冷泉(れいぜい)の三家分立した。


御子左家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 14:22 UTC 版)

御子左家(みこひだりけ)は、藤原北家嫡流藤原道長の六男・権大納言 藤原長家を祖とする藤原氏の系流。御子左流(みこひだりりゅう)ともいう。ただし「御子左」を家名として名乗った者はない。


注釈

  1. ^ 武藤氏祖。
  2. ^ のちに改名して須藤貞信。伝那須氏祖。
  3. ^ 加藤氏祖。
  4. ^ 実父は小一条院敦明親王の子源信宗[1]
  5. ^ 俊成の女子・八条院三条と藤原盛頼の間の女子で、俊成の外孫にあたる。
  6. ^ 為道は正嫡だが、家督を継ぐ前に若くして卒去した。
  7. ^ 実父は正親町実明、はじめ京極為兼の養子に入って京極忠兼を名乗るが、のちに実家に戻って正親町家を相続、正親町公蔭と改名。
  8. ^ 伊勢三井家

出典

  1. ^ 尊卑分脈
  2. ^ 鈴木真年 編『諸氏本系帳』四「三井系図」


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御子左家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 01:35 UTC 版)

鎌倉時代の人物一覧」の記事における「御子左家」の解説

藤原定家……歌人藤原俊成の子正二位権中納言。『小倉百人一首』、『新古今和歌集』などを撰進。『明月記』の著者

※この「御子左家」の解説は、「鎌倉時代の人物一覧」の解説の一部です。
「御子左家」を含む「鎌倉時代の人物一覧」の記事については、「鎌倉時代の人物一覧」の概要を参照ください。

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