我が闘争とは? わかりやすく解説

わが闘争

読み方:わがとうそう
別名:我が闘争、マインカンプMein Kampf

1925年から1926年にかけて出版された、ドイツナチス党指導者アドルフ・ヒトラー著作。全2巻からなり第1巻では主にヒトラー自身半生自叙伝的書かれており、第2巻では主に群集心理煽動に関する実践的内容や、ヒトラー歴史観人種観などについての内容書かれている

「わが闘争」は、アドルフ・ヒトラー1923年ミュンヘン一揆逮捕された後、獄中執筆した本である。「わが闘争」の内容は、のちのナチス政策暗示するものだと捉えられている。

ヒトラーは「わが闘争」の中で、文化対す影響を基にして人種3つのランク分け一流として唯一文化創造できる」アーリア民族を、二流として日本人を含むその他大多数民族置いた。そして、最低のランクに「文化破壊する」としてユダヤ人を置き、その排斥根絶が必要であると主張した。この主張は、のちのナチス政策実際に反映されることとなった

また、「わが闘争」では初めて、ヒトラーの「東方生存圏獲得」という理想示された。これは、ドイツ民族スラブ民族奴隷化するとともに東方領土拡大し、「大ゲルマン帝国」を建設するきとする考えであり、のちのナチスによるポーランド侵攻独ソ戦繋がった考えられている。

ナチス政権掌握すると、「わが闘争」はナチス党支持者の間でバイブルとしての位置占めたナチス政権崩壊までに、約1000万部が出版されたとされている。「わが闘争」は、ネオナチなどによる政治的宣伝用いられるおそれがあることから、戦後ドイツ国内での出版法律禁止され長らく禁書」として扱われてきた。

2015年末に「わが闘争」の著作権失効するにあたって著作権保持するバイエルン州出版解禁するかどうか注目されてきた。2013年12月バイエルン州政府は、本の内容ナチス犠牲者対す配慮理由に、出版禁止方針継続し出版社には民衆煽動罪による法的措置辞さないとする意向示した。しかしその1か月後に、バイエルン州政府それまで方針一転し学術的な注釈付けることを条件として「わが闘争」の出版認め意向示した

わがとうそう〔わがトウサウ〕【我が闘争】


我が闘争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/19 15:56 UTC 版)

我が闘争』(わがとうそう、ドイツ語: Mein Kampf、マインカンプ)は、ナチ党指導者のアドルフ・ヒトラーの著作。全2巻で、第1巻は1925年、第2巻は1926年に出版された[1]。ヒトラーの自伝的要素と政治的世界観ドイツ語: Weltanschauung)の表明などから構成されており、ナチズムバイブルとなった。




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