戦争末期の総退去命令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 14:53 UTC 版)
戦争末期に青函連絡船を撃沈したハルゼー機動部隊により1945年(昭和20年)7月14日に八戸・三沢が空襲を受け、日東化学工業や尻内駅が被害を受けた。さらに8月5日にB29爆撃機が八戸市に飛来し八戸空襲を予告、8月9日にハルゼー機動部隊により八戸港にいた海防艦・稲木が撃沈された。こうした状況を受け、空襲や艦砲射撃による攻撃を見越し、8月10日に八戸市中心市街地からの総退去命令を決断した。 終戦時にはハルゼー機動部隊は三陸海岸沖に撤退しており、市街地は閑散とした状況であった。
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