戦闘序列
戦闘序列
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「アウステルリッツの戦い」の記事における「戦闘序列」の解説
詳細は「w:Order of Battle at the Austerlitz campaign」を参照 大陸軍 ロシア=オーストリア連合軍 総司令官:フランス皇帝ナポレオン1世参謀長:ルイ=アレクサンドル・ベルティエ元帥総兵力:73,000人、砲139門 総司令官(名目上):ロシア皇帝アレクサンドル1世(画像左)オーストリア皇帝フランツ1世(画像右)実質的司令官:ミハイル・クトゥーゾフ大将(露)ヨーハン・フォン・リヒテンシュタイン中将(墺)参謀長:フランツ・フォン・ワイロッテル少将(墺)総兵力84,500人、砲278門 皇帝近衛隊(ジャン=バティスト・ベシェール元帥)兵5,500、砲24門 第1軍団 (ジャン=バティスト・ジュール・ベルナドット元帥)兵13,000、砲24門。前衛隊(第27軽歩兵連隊) 第1師団(オリヴィエ・リヴォー・ド・ラ・ラフィエンヌ (en) 師団将軍) 第2師団(ジャン=バティスト・ドルーエ (en) 師団将軍) 第3軍団(ルイ=ニコラ・ダヴー元帥)兵4,300(騎兵830を含む)、砲12門。第2師団(ルイ・フリアン (en) 師団将軍) 第4竜騎兵師団(フランソワ・アントワーヌ・ルイ・ブルシェ (en) 師団将軍) 第4軍団(ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト元帥)兵23,600、砲35門。第1師団 (ルイ・ヴィンセント・ラ・ブロンド・ド・サンティレール (en) 師団将軍) 第2師団 (ドミニク=ジョーゼフ・レネ・ヴァンダム師団将軍) 第3師団 (クロード・ジュストゥ・アレクサンドル・ルグラン (en) 師団将軍) 軽騎兵師団(ピエール・マルガロン旅団将軍) 第5軍団(ジャン・ランヌ元帥)兵12,700、砲20門。第1師団(マリー=フランソワ・オーギュスト・ド・カファレリ (en) 師団将軍) 第3師団(ルイ=ガブリエル・スーシェ師団将軍) 軽騎兵師団(en:Anne-François-Charles Trelliard旅団将軍) 擲弾兵師団(ジェラール・クリストフ・ミッシェル・デュロック (en) 師団将軍) 兵5,700。 騎兵予備(ジョアシャン・ミュラ元帥)騎兵7,400、砲36門第1重騎兵師団(エティエンヌ・マリー・アントワーヌ・チャンピオン・ド・ナンスティ (en) 師団将軍 ) 第2重騎兵師団(ジャン=ジョゼフ・アンジュ・オートポール (en) 師団将軍) 第2竜騎兵師団(フレデリック=アンリ・ワルシャー (en) 師団将軍) 第3竜騎兵師団(マルク・アントワーヌ・ド・ボーモン (en) 師団将軍) 軽騎兵師団(フランソワ・エティエンヌ・ケレルマン師団将軍、第1軍団所属) 軽騎兵旅団(エドアルド=ジャン=パプディスト・ミヨー (en) 旅団将軍) ロシア近衛軍(コンスタンチン大公) 歩兵6,730、騎兵3,700、工兵100、砲40門。 ロシア前衛隊(右翼軍)(ピョートル・バグラチオン中将) 歩兵9,200、騎兵4,500、砲42門。 左翼軍(フョードル・ブクスホーデン (en) 大将)前衛隊(ミヒャエル・フォン・キンマイヤー (en) 中将)歩兵3,440、騎兵3,440、軽砲12門。第1歩兵旅団(ゲオルグ・シモン・ド・カルヌヴィル少将) 第1騎兵旅団(カール・ウィルヘルム・フォン・スタッターハイム (en) 少将) 第2騎兵旅団(ヨハン・ネーポムク・フォン・ノスティッツ=リーネック少将) 第3騎兵旅団(モーリッツ・リヒテンシュタイン少将) 第1縦隊(デミトリー・ドフトゥローフ (en) 中将)歩兵13,240、騎兵250、軽砲14門、重砲24門。第1歩兵旅団(ルートヴィヒ少将) 第2歩兵旅団(ウルーソフ少将) コサック連隊×1 第2縦隊(ルイ=アレクサンドル・アンドロート・ド・ランジュロン (en) 中将)歩兵11,250、騎兵300、軽砲30門。第1歩兵旅団(オルソヴィエフ少将) 第2歩兵旅団(セルゲイ・カメンスキー (en) 少将) 竜騎兵連隊×1 コサック連隊×1 第3縦隊(プリピチェフスキー中将)歩兵7,700、砲兵30門。第1歩兵旅団(ミュラ少将) 第2歩兵旅団(セレイコフ少将) 第4縦隊(ミハイル・ミロラドヴィチ中将およびヨハン・コロワルト (en) 中将)歩兵23,900、軽砲52門、重砲24門。前衛隊(歩兵連隊×2、竜騎兵連隊×1) 第1歩兵旅団(Wodniansky少将) 第2歩兵旅団(ハインリッヒ・フォン・ロテルムンド少将) 第3歩兵旅団(フランツ・フォン・ユークゼック少将) 第5(騎兵)縦隊(ヨーハン・フォン・リヒテンシュタイン中将)騎兵5,375、軽砲24門。第1騎兵旅団(ヨハン・カール・カラメッリ少将) 第2騎兵旅団(ヨハン・ヴェーバー・フォン・トロイエンフェルス少将) 第3騎兵旅団(グラトコフ少将) 第4騎兵旅団(F. P. ウヴァーロフ中将、副将) 参考文献 Duffy, Christopher. Austerlitz 1805. Hamden, Conn.: Archon Books, 1977. Smith, Digby. The Napoleonic Wars Data Book. London: Greenhill, 1998. ISBN 1-85367-276-9 Austrian generals by Digby Smith, compiled by Leopold Kudrna 大陸軍主要将帥 ベルティエ元帥参謀長 ベシェール元帥皇帝近衛隊長 ベルナドット元帥第1軍団長 ダヴー元帥第3軍団長 スールト元帥第4軍団長 ランヌ元帥第5軍団長 ミュラ元帥騎兵予備司令 ロシア=オーストリア連合軍主要将帥 ミハイル・クトゥーゾフ大将(露) ヨーハン・フォン・リヒテンシュタイン中将(墺) コンスタンチン大公(露)ロシア近衛軍司令 ブクスホーデン大将(露)左翼軍司令 バグラチオン中将(露)ロシア前衛隊(右翼軍)司令 ドフトゥローフ中将(露)第1縦隊司令 ランジュロン中将(露)第2縦隊司令 ミロラドヴィチ中将(露)第4縦隊司令 コロワルト中将(墺)第4縦隊司令
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戦闘序列
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1945年4月30日時点での戦闘序列。 第75兵団ドイツ軍第5山岳師団 イタリア軍第2「リットリオ」歩兵師団 ドイツ軍第34歩兵師団 ロンバルディア兵団イタリア軍第3「サン・マルコ」海兵師団 第134ドイツ歩兵連隊 第4「モンテ・ローザ」山岳師団 第1「イタリア」歩兵師団はドイツ第14軍に合流した。
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「第24SS武装山岳猟兵師団」の記事における「戦闘序列」の解説
書類上、師団の最終的な戦闘序列は次のような物だった。 第59SS山岳猟兵連隊(山岳歩兵)(3個大隊) 第60SS山岳猟兵連隊(山岳歩兵)(3個大隊) 第24SS山岳砲兵連隊(4個大隊) 第24SS偵察大隊 第24SS装甲猟兵大隊(対戦車部隊) 第24SS工兵大隊 第24SS山岳通信大隊 第24SS補充大隊 師団の設立時には補給部隊も含まれるはずだった。実際には、第59山岳猟兵連隊、第24SS山岳砲兵連隊の1個大隊、第24SS工兵大隊の1個中隊、それに半個中隊規模の師団装甲中隊だけで設立された。
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「ダンツィヒ攻囲戦 (1807年)」の記事における「戦闘序列」の解説
町を奪取する任務は2月中旬、ルーフェヴル元帥と指揮下の第10軍団に与えられた。その補佐にあたったのは工兵指揮官、フランソワ・デュ・シャスルー=ローバ(英語版)将軍と砲兵指揮官、バストン・デュ・ラリボワズィエ(英語版)将軍であった。両名は二人とも、その専門分野においてフランス軍きっての専門家であった。参謀長はドルーエ将軍であった。第10軍団を構成していたのはヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ将軍率いるポーランドの2個師団、ザクセンの1個軍団、バーデンからの1個派遣部隊、イタリアの2個師団とフランス軍約10,000名、総勢約45,000名である 。ダンツィヒ市内にはプロイセン軍司令官、フリードリヒ・アドルフ・フォン・カルクロイト伯爵元帥指揮下の14,400名が駐留していた。しかし、ナポレオンは彼らを「ならず者」(canaille)と呼んでいる。
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「連合国遠征軍最高司令部」の記事における「戦闘序列」の解説
SHAEFはアメリカ陸軍、自由フランス軍、イギリス陸軍そしてカナダ陸軍に所属する3個軍集団(8個野戦軍)を指揮下に収めていた。これは西部戦線における単一の作戦に割り当てられた部隊としては最大規模のものである。 第1連合空挺軍(英語版) イギリス第21軍集団(英語版)第1カナダ軍(英語版) イギリス第2軍(英語版) アメリカ第12軍集団(英語版)アメリカ第1軍 アメリカ第3軍 アメリカ第9軍(英語版) アメリカ第15軍(英語版) アメリカ第6軍集団(英語版)フランス第1軍(英語版) アメリカ第7軍 これら地上部隊に加え、ネプチューン作戦(オーバーロード作戦における上陸段階)において多数の海軍戦力を指揮したほか、2個戦術空軍(アメリカ第9空軍(英語版)、イギリス第2戦略空軍(英語版))を指揮下においていた。ネプチューン作戦においては、イギリスに展開する戦略爆撃戦力もSHAEFの指揮下に収められていた。
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「キャンパーダウンの海戦における戦闘序列」の記事における「戦闘序列」の解説
以下の表では先頭艦から順に艦船を並べている。死傷者数の欄は出来るだけ確実なものを表記した。 (戦闘の性質上、オランダ側の損失は正確に数えるのが難しい。) 戦死又は戦傷死した士官については名前の後に「 †」を記している。砲門数の欄については、カロネード砲は伝統的にイギリス海軍の等級制度では戦列艦の等級を分類する時に砲門数に含めなかったため、実際の砲門数は表中のものよりも多い可能性がある。 * 紫色は戦闘中に鹵獲された艦を示す。 両艦隊の陣形の模式図。 戦闘開始5分前の両艦隊の艦艇の位置関係を表した図。
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「第557気象航空団 (アメリカ軍)」の記事における「戦闘序列」の解説
特筆のない限り、隷下の部隊は、第557気象航空団と同じネブラスカ州オファット空軍基地に配置されている。 第1気象飛行群第15作戦気象飛行隊(イリノイ州スコット空軍基地) 第17作戦気象飛行隊(ハワイ州パールハーバー・ヒッカム統合基地) 第21作戦気象飛行隊(ドイツゼンバッハ・カゼルネ) 第25作戦気象飛行隊(アリゾナ州デビスモンサン空軍基地) 第26作戦気象飛行隊(ルイジアナ州バークスデール空軍基地) 第28作戦気象飛行隊 (ノースカロライナ州ショー空軍基地) 運用拠点K(オクラホマ州ノーマンレーダーオペレーションセンター) 第2気象飛行群第2戦闘気象システム飛行隊(フロリダ州ハルバート・フィールド) 第2システム運用飛行隊 第2気象飛行隊第1分遣隊(西オーストラリア州リアマンス空軍基地) 第2分遣隊(マサチューセッツ州サガモアヒル電波天文台) 第3分遣隊(イタリアサン・ヴィート・デイ・ノルマンニ飛行場) 第4分遣隊(ニューメキシコ州ホロマン空軍基地) 第5分遣隊(ハワイ州カエナポイント宇宙軍基地) 運用拠点A(コロラド州ピーターソン宇宙軍基地) 運用拠点B(バージニア州ラングレー・ユースティス統合基地) 運用拠点D(ミシシッピ州キースラー空軍基地) 運用拠点P(コロラド州ボルダー) 第2気象支援飛行隊 第14気象飛行隊(ノースカロライナ州アシュビル連邦気候複合施設) 第16気象飛行隊
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Stockmanが掲載した図 と児島襄『太平洋戦争 (下)』掲載の序列を参考に配列。そのため揚陸戦関連は任務部隊の名を関していても同じ階層に並べていないものがある。河津幸英が『米海兵隊公刊戦史』とJames R.Stockmanの手になる公刊戦史によると、本作戦でマーシャル諸島に進攻した南太平洋軍の艦隊など戦闘序列は次のような編制となっていた。同時攻略の目標が2箇所であったためか、揚陸指揮艦と病院船は2隻ずつ配置されている。
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戦闘序列
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:32 UTC 版)
1980年には以下のような構成であった。 第8親衛戦車軍 (ジトーミル)第23戦車訓練師団 (オーヴルチ) 第30親衛戦車師団 (ノヴォホラド・ヴォルユンスキィ(英語版)) (現第30機械化旅団(英語版)) 第13赤旗軍(英語版) (リウネ)第17親衛自動車化狙撃師団 (フメリニツキー) 第51親衛自動車化狙撃師団(英語版) 第97親衛自動車化狙撃師団 第161自動車化狙撃師団 第38軍(英語版) (イヴァーノ=フランキーウシク)第70親衛自動車化狙撃師団 (イヴァーノ=フランキーウシク) 第128親衛自動車化狙撃師団(英語版) (ムカチェボ(英語版)) 第287訓練自動車化狙撃師団 (Yarmolyntsi)、1989年軍事兵器庫に転用された (5194th БХВТ) 第66砲兵軍団 (Nesterov(英語版))第26砲兵師団 (テルノーピリ) (第26シュテッティンSivashskayaスヴォーロフ赤旗勲章2度砲兵師団)第897親衛砲兵キエフ赤旗ボグダン・フメリニツキー勲章連隊(第11砲兵旅団(英語版)) 第81砲兵師団 (ヴィノフラージウ(英語版)) 地域兵第24自動車化狙撃師団 (リヴィウ) 第66親衛訓練自動車化狙撃師団(英語版)第128親衛戦車訓練連隊、第145、193、195親衛自動車化狙撃訓練連隊 第117戦車訓練師団 (ベルディチウ(英語版))
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「ハンガリー・ルーマニア戦争」の記事における「戦闘序列」の解説
占領期に、デブレツェンのルーマニア行政府により発行された切手。ハンガリーの切手に加刷されている。 第一段階ルーマニア軍第1山岳猟兵師団 第2山岳猟兵師団 第7山岳猟兵師団 第6歩兵師団 第16歩兵師団 第18歩兵師団 第二段階ルーマニア軍北方集団 (モショイウ将軍)オルテアヌ将軍集団2個歩兵大隊 1個騎兵旅団 1個砲兵中隊 第2騎兵師団(バイア・マーレ) 第7山岳猟兵師団(ザラウ) 第6歩兵師団(フエディン) 集団予備 第16歩兵師団(デジ) 南方集団 (マルダレスク将軍)第2山岳猟兵師団(ロシア) ベイウッシ連隊 集団予備 第16山岳猟兵師団(デヴァ) 軍予備第18歩兵師団 第三段階ルーマニア軍北方集団第16歩兵師団(第一線) 第2山岳猟兵師団 南部集団第18歩兵師団(第一線) 第1山岳猟兵師団 軍予備 第1歩兵師団 第6歩兵師団 第20歩兵師団 第21歩兵師団 第1騎兵師団 第2騎兵師団 ハンガリー軍北方集団 (トカイ)第2セーケイ旅団 第3セーケイ旅団 第39歩兵大隊 サーントー分遣隊 集団予備 (ミシュコルツ) 第1歩兵師団 中央集団 (ソルノク)第5歩兵師団 第6歩兵師団 第7歩兵師団 第80国際歩兵旅団 集団予備 (ツェグレード) 第3歩兵師団の半分 南方集団 (チョングラード)第2歩兵師団 集団予備 (キシュテレク) 第4歩兵師団 軍予備 (アボニ=ツェグレード)第3歩兵師団の半分 1個騎兵連隊
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戦闘序列
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「ソ連対日参戦におけるソ連軍の戦闘構成(ロシア語版)」も参照 極東ソビエト軍総司令官アレクサンドル・ヴァシレフスキーソ連邦元帥 モンゴル人民革命軍総司令官ホルローギーン・チョイバルサン元帥 第1極東戦線:司令官キリル・メレツコフソ連邦元帥第1赤旗軍:司令官アファナシー・ベロボロドフ大将 第5軍:司令官ニコライ・クルイロフ大将 第25軍:司令官イワン・チスチャコフ大将 第35軍 第10機械化軍団 第9航空軍 第2極東戦線:司令官マクシム・プルカエフ上級大将第2赤旗軍 第15軍 第16軍:司令官レオンチー・チェレミソフ少将 第10航空軍 第5独立狙撃軍団 カムチャッカ防衛地区:司令官アレクセイ・グネチコ少将 ザバイカル戦線:司令官ロディオン・マリノフスキーソ連邦元帥第17軍 第36軍:司令官アレクサンドル・ルチンスキー 第39軍 第53軍 第6親衛戦車軍:司令官アンドレイ・クラフチェンコ大将 第12航空軍 騎兵・機械化群:司令官イッサ・プリーエフ。ソビエト・モンゴル合同部隊 太平洋艦隊:司令官イワン・ユマシェフ大将。巡洋艦×2隻、嚮導艦×1隻、駆逐艦・掃海艇×12隻、潜水艦×78隻。兵員11万人。航空機1,549機 アムール小艦隊:司令官ニコライ・アントノフ少将 兵員1,577,725人、火砲26,137門(迫撃砲含む)、戦車・自走砲5,556両、航空機3,446機を装備(海軍の装備を考慮しない数)。
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戦闘序列
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 01:38 UTC 版)
「第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「戦闘序列」の解説
第33SS所属武装擲弾兵師団「シャルルマーニュ」(フランス第1)の戦闘序列は次の通り。 第33SS所属武装擲弾兵師団 「シャルルマーニュ」(フランス第1)(33. Waffen-Grenadier-Division der SS "Charlemagne"(französische Nr. 1))(1945年2月 - 3月・ポメラニア戦線) 師団本部フランスSS部隊査察部 師団本部付各種中隊(名誉中隊、輸送、工兵、衛生、その他) 第57SS所属武装擲弾兵連隊 (Waffen-Grenadier-Regiment der SS 57) 第58SS所属武装擲弾兵連隊 (Waffen-Grenadier-Regiment der SS 58) 第33SS所属武装戦車猟兵大隊 (Waffen-Panzerjäger-Abteilung der SS 33) 第33SS所属武装砲兵大隊 (Waffen-Artillerie-Abteilung der SS 33) 「シャルルマーニュ」師団 (Division Charlemagne)(1945年3月1日・戦地再編制) 師団本部 行進連隊 (Régiment der Marche) 予備連隊 (Régiment der Réserve) 「シャルルマーニュ」師団 (Division Charlemagne)(1945年3月25日~4月23日・ベルリン北方) 師団(連隊)本部 建設大隊 (Baubataillon) 第57SS大隊 (SS-Bataillon 57) 第58SS大隊 (SS-Bataillon 58) フランスSS突撃大隊 (Französische SS-Sturmbataillon)(1945年4月24日・ベルリン市街戦) 詳細は「フランスSS突撃大隊」を参照 大隊本部 第1中隊 第2中隊 第3中隊 第4中隊 戦術学校 (Kampfschule) 「シャルルマーニュ」師団 (Division Charlemagne) (1945年4月24日 - 5月2日・ドイツ北部) 師団(連隊)本部 第58SS大隊 (SS-Bataillon 58) 建設大隊 (Baubataillon)
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戦闘序列(日本軍)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 05:26 UTC 版)
※この「戦闘序列(日本軍)」の解説は、「レイテ沖海戦」の解説の一部です。
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戦闘序列(連合軍)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 05:26 UTC 版)
総計862隻(戦闘艦艇157隻、輸送船420隻、特務艦船157隻、その他128隻)。 第二次ケベック会談でレイテ攻略を最終決定した1944年9月、連合幕僚長会議の決定によりダグラス・マッカーサー大将指揮の第7艦隊が上陸作戦の指揮を執ることとなった。この際、ウィリアム・ハルゼー・ジュニア大将の上陸部隊移管の進言もあり太平洋艦隊からはウィルキンスン中将の両用戦部隊が移管されたが、第3艦隊を中心とする空母機動部隊とその補給部隊はチェスター・ニミッツ大将の指揮下の太平洋艦隊にとどめ置かれ、その任務は第7艦隊を支援し、日本艦隊が出現した場合にはその撃滅を優先するものとなっていた。従って第3艦隊と第7艦隊では指揮系統が大きく異なる。
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戦闘序列
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 17:13 UTC 版)
関東軍総司令官 山田乙三 大将(14期) 第一方面軍:司令官 喜多誠一 大将(19期)第3軍 第5軍 直轄部隊 第三方面軍:司令官 後宮淳 大将(17期)第30軍 第44軍 直轄部隊 第4軍 第34軍 関東軍航空部隊戦闘飛行部隊 教育飛行部隊(独立第101教育飛行団) 陸軍士官学校満州派遣隊 兵員約70万(詳細な個別師団・部隊の兵員数は不明)、火砲約1,000門(歩兵砲・山砲などすべてを含む)、戦車約200両、航空機約350機(うち戦闘機は65機。練習機なども含む) 第五方面軍 樋口季一郎 中将 南樺太第88師団:司令官 峯木十一郎 中将 千島列島第91師団:司令官 堤不夾貴 中将 第89師団:司令官 小川権之助 中将 北海道第7師団:司令官 鯉登行一 中将 第42師団:司令官 佐野虎太 中将 第1飛行師団:司令官 佐藤正一 中将 内蒙古駐蒙軍 :司令官 根本博 中将
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戦闘序列
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:51 UTC 版)
アリエル・シャロン少将の第143機甲師団は、回廊を開いて架橋するという肝要な任務を受けた。彼の師団にはツビア・ラビブ(ヘブライ語版)の第600機甲旅団、アムノン・レシェフ(英語版)大佐の第14機甲旅団、そしてハイム・エレツ(ヘブライ語版)大佐が指揮する「ハイム」旅団が含まれた。アブラハム・アダン少将の第162機甲師団は、運河を渡り配下の戦車300輌をもって包囲を完成させる任務を負った。この師団にはナトケ・ニル(ヘブライ語版)大佐の第217機甲旅団、ガビ・アミール(ヘブライ語版)大佐の第460機甲旅団、そしてアリエ・カレン(ヘブライ語版)の第500機甲旅団が含まれた。1個空挺旅団が戦闘の進行中に、アダンの師団へと転属することになっていた。カルマン・マゲン(ヘブライ語版)の第252機甲師団は、まずデバーソワーにおけるシャロンの作戦から注意を逸らすため、いずこか別の場所に陽動攻撃を仕掛けることになっていた。その後に当師団は、回廊と橋頭保を掌握し保持するというものであった。 当地域のエジプト軍は、第2軍の南側側面部を構成していた。イブラヒム・オラビイ(英語版)准将が指揮する第21機甲師団、そしてアブド・ラブ・エル・ナビ・ハフェズ(アラビア語版)准将が指揮する第16歩兵師団がその部隊であった。当師団の指揮官であることに加えて、ハフェズは自らの師団の前進基地内にいた、第21師団を含む部隊をも指揮した。オラビイの部隊はサイェド・サレー大佐の第1機甲旅団、オトマン・カメル大佐の第14機甲旅団、タラート・ムスリム大佐の第18機械化旅団を含むものであった。ハフェズの第16歩兵師団は、アブデル・ハミド・アブデル・サミ大佐が指揮する第16歩兵旅団、また第116歩兵旅団と第3機械化旅団を含んだ。
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戦闘序列
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 17:49 UTC 版)
「第352歩兵師団 (ドイツ国防軍)」の記事における「戦闘序列」の解説
連合軍の侵攻前夜における第352歩兵師団の戦闘序列は以下のとおりである。 第914擲弾兵連隊(Grenadier-Regiment 914) 2 x 15cm sIG33 6 x 7.5 cm leIG 18 3 x 7.5 cm PaK 40 第915擲弾兵連隊(Grenadier-Regiment 915) 2 x 15 cm sIG 33 6 x 7.5 cm leIG 18 3 x 7.5 cm PaK 40 第916擲弾兵連隊(Grenadier-Regiment 916) 2 x 15 cm sIG 33 2 x 7.5 cm leIG 18 3 x 7.5 cm PaK 40 第352対戦車猟兵大隊(Panzerjäger-Abteilung 352) 14 x マルダーII及びマルダーIII(特別編成) 10 x III号突撃砲G型 9 x 38(t)対空戦車ほかSd.Kfz.10/5などの自走式対空砲 第352砲兵連隊(Artillerie-Regiment 352) 第1~9砲兵中隊 - 36 x 10.5 cm leFH 327 (b) 第10~12砲兵中隊 - 12 x 15 cm sFH 18 第352工兵大隊(Pionier-Bataillon 352) 20 x 火炎放射器 6 x 迫撃砲 第352偵察大隊(Divisions-Füsilier-Bataillon 352) (第1中隊は自転車を装備) 第352野戦補充大隊(Feldersatz-Bataillon 352) 6 x 8 cm sGrW 34 1 x 5 cm PaK 38 1×7.5cm PaK-40 1 x 10.5cm FH 98/09 1 x ターレット・ブンカー(オチキス H35やIV号戦車などの戦車の砲塔を用いた固定砲台) 2 x 火炎放射器 第352師団附属通信大隊(Divisions-Nachrichten-Abteilung 352) 第352師団補給指導部(Divisions-Nachschubführer 352)
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戦闘序列
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ノルウェー侵攻を行うのはニコラウス・フォン・ファルケンホルスト歩兵大将指揮下のXXI軍団で、以下の部隊から構成されていた。 XXI軍団 指揮官:ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト歩兵大将第163歩兵師団 第69歩兵師団 第196歩兵師団 第181歩兵師団 第214歩兵師団 第3山岳兵師団 最初の侵攻部隊は海軍艦艇で運ばれた。参加した主な艦船は次の通りである。 グループ1(目的地ナルヴィク)駆逐艦:ヴィルヘルム・ハイドカンプ、ゲオルク・ティーレ、ヴォルフガング・ツェンカー、ベルント・フォン・アルニム、エーリッヒ・ギーゼ 駆逐艦:エーリッヒ・ケルナー、ディーター・フォン・レーダー、ハンス・リューデマン、ヘルマン・キュンネ、アントン・シュミット 支援部隊戦艦:シャルンホルスト、グナイゼナウ グループ2(目的地トロンハイム)重巡洋艦:アドミラル・ヒッパー 駆逐艦:パウル・ヤコビ、テオドール・リーデル、ブルーノ・ハイネマン、フルードリヒ・エッコルト グループ3(目的地ベルゲン)軽巡洋艦:ケルン、ケーニヒスベルク 砲術練習艦:ブレムゼ 水雷艇:レオパルト、ヴォルフ Sボート母艦:カール・ペーターズ Sボート:S18、S19、S20、S21、S22、S24 その他艦艇2隻 グループ4(目的地クリスチャンサン、アーレンダール)軽巡洋艦:カールスルーエ 水雷艇:グライフ、ルクス、ゼーアドラー Sボート母艦:ツィンタウ SボートS9、S14、S16、S30、S31、S32、S22 グループ5(目的地オスロ)重巡洋艦:ブリュッヒャー 装甲艦:リュッツォウ 軽巡洋艦:エムデン 水雷艇:アルバトロス、コンドル、メーヴェ 掃海艇(Rボート):R17、R18、R19、R20、R21、R22、R23、R24 その他艦艇2隻 グループ6(目的地エゲルスン)掃海艇(Mボート):M1、M2、M9、M13
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戦闘序列
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「1796年9月9日の海戦」の記事における「戦闘序列」の解説
この表に掲載されている「砲門数」は、その艦に積載されていたカノン砲すべてを指す。すなわち艦の等級と関係している主甲板の大砲のみでなく、船内にある補助的なカロネード砲も含む。「舷側砲弾重量」は、一度の一斉射撃で発射できる舷側砲の砲弾の総重量を示す。 艦名 艦長 海軍旗 砲門数 舷側砲弾重量 船員数 死傷者 死者 負傷者 計HMS アロガント リチャード・ルーカス 74 838ポンド (380 kg) 584 7 27 34 HMS ヴィクトリアス ウィリアム・クラーク 74 838ポンド (380 kg) 493 17 57 74 ヴェルトゥ ジャン=マルテ=アドリアン・レルミット 40 1,700ポンド (770 kg) 1400 9 15 24 セーヌ ラトゥール † 38 18 44 62 フォルテ ユベール・ル・ループ・ド・ボーリュー 44 6 17 23 シベール ピエール・ジュリアン・トレホアール 40 4 13 17 レジェネレー ジャン=バプティスト・フィリベール・ウィローム 40 0 0 0 プルデンテ シャルル・レネ・マゴン・ド・メディーヌ 32 3 9 12 出典: Clowes, p. 503. Clowes conflates figures for broadside weight, crews and casualties. Crew and casualty details from James, pp. 353–354.
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戦闘序列
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戦闘序列
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 07:25 UTC 版)
黒シャツ隊時代の兵員は15個の師団に分けられた上で133個の1個連隊(3個大隊から編成)に分けて配属され、また、これとは別に師団へ属さない独立連隊が10個連隊存在していた。1929年の組織再編で全部隊を統括する4つの方面軍(raggruppamenti)が上位部隊として創設されたのを除けば1920年代はこうした制度が維持された。 1936年に新たな再編が行われ、1個連隊は2個大隊制に変更された。2個大隊の内、片方は党青年団の青少年兵から集められ、もう片方は古参の退役兵や老年召集兵から編成されるという年齢別の区分けが実施された。また党内の親衛部隊に相当する統帥警備大隊、本土に編入されたアルバニア方面の4個連隊、及びアフリカ方面の7個連隊が増設された。加えて警察軍の補佐役として治安維持も新たな任務とされ、その為の治安維持部門が創設されている。 第1師団から第6師団までは第二次エチオピア戦争に投入され、第7師団は戦争途中で未編成に終わった。スペイン内戦では一部兵員を抽出して4個義勇兵師団の内3個旅団を編成(第4義勇旅団「リットリオ」は正規軍)したが、戦争中の戦力消耗で現地義勇兵との混合部隊として再編されている。1940年時点で国防義勇軍(黒シャツ隊)は34万名の兵員を持ち、北アフリカ戦線に新しく編成した第1師団・第2師団・第4師団を援軍として派遣、これは英軍との戦闘で壊滅した。戦争後半には第4師団「M」と第5師団「アフリカ」が戦場に展開した。 第二次エチオピア戦争時第1黒シャツ師団「3月23日」 第2黒シャツ師団「10月28日」 第3黒シャツ師団「4月21日」 第4黒シャツ師団「1月3日」 第5黒シャツ師団「2月1日」 第6黒シャツ師団「ティヴェレ」 第7黒シャツ師団「シィレーネ」(未編成) スペイン内戦派遣時第1黒シャツ旅団「ディオ・ロ・ボーレ」 第2黒シャツ旅団「フィラーメ・ネーレ」 第3黒シャツ旅団「ペンネ・ネーレ」 治安部門防空・沿岸警備軍対空砲部隊 沿岸砲部隊 森林警備軍 国境警備軍 交通警備軍 船舶警備軍 通信警備軍 輸送警備軍 学生召集軍
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「戦闘序列」の例文・使い方・用例・文例
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