播丹鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/15 07:18 UTC 版)
播丹鉄道はのちの国鉄加古川線・三木線・北条線・鍛冶屋線・高砂線を運営していた。同社からは1943年の買収に伴い、半鋼製の4輪車・片ボギー車・ボギー車取り混ぜて19両ものガソリンカーが承継された。 保有両数が極端に多かった原因としては、本線から分かれる支線が多数存在しており、なおかつ並行道路を走るバスとの競合が激しかったため、フリークエントサービスで対抗する目的で、日本車輌が1927年に開発した小型気動車(レールカー)をいち早く導入していたという事情がある。 このため、買収車のうち14両が1928年以降1931年にかけて導入された古い車両であり、さらにそのうち4両は、ごく初期の未熟な設計の小型4輪車で、原形を留めないまでの大改造を繰り返し受けて使われてきたような状態であった。このような状況から、4輪車と片ボギー車の多くは買収後間もなく廃車になっている。 買収にあたっては、4輪車と片ボギー車は旧番号のまま、ボギー車については国鉄形式への改番が行われたことになっているが、実車表記は訂正されていなかった模様である。なお買収に先立って、1941年5月に在籍車両の改番整理が行われており、同時に気動車の形式が「レールカー」に由来する「レカ」から、鉄道省同様の「キハ」に改められていた(同年9月製のキハ520、1943年譲受のキハ200は当初からキハ形式)。また買収時点で多数が木炭ガスによる代燃車化改造を受けるか、さもなくば自走不能で付随車扱いとなっていた。 キハ10-13 (1928年 日本車輌本店製 元・レカ1-3、5)→鉄道省キハ10-13 4輪車。 キハ50-53 (1930年-1931年 日本車輌本店製 元・レカ6-9)→鉄道省キハ50-53 4輪車。このうちキハ53は東武鉄道に譲渡され、同社のキハ53となった後、1950年3月に廃車された。 キハ100-103 (1930年 日本車輌本店製 元・レカ10-13)→鉄道省キハ100-103 片ボギー車。 キハ110 (1931年 日本車輌本店製 元・レカ14)→鉄道省キハ110 片ボギー車。 キハ500 (1931年 梅鉢鐵工場製 元・レカ15)→鉄道省キハ40350 ボギー車。 キハ510・511 (1936年 川崎車輌製 元・レカ16・17)→鉄道省キハ40355・40356 ボギー車。 キハ520 (1941年 日本車輌本店製)→鉄道省キハ40810 ボギー車。1937年3月に島原鉄道の車庫火災でキハニ101-104(1934年-1935年 日本車輌本店製ガソリンカー)のうち1両(具体的な車番は不明)が焼損、復旧のため日車本店に送られた。焼け残った台車等の走行装置に組み合わせる形で新たな同一車体が製作され島鉄に再納入されたが、一連の復旧措置は当局には断りなく行われ、火災に遭った旧車体はそのまま日車本店に残された。この焼損車体に復旧改造を加えて新たな足回りと組み合わせ、キハ520として播但鉄道に納入したもの。名目上は新製車扱いだが、気動車新製が差し止められていた戦時体制下の1941年にもなって製作できたのは、播丹側が沿線に駐屯していた陸軍連隊の意向を鉄道省への圧力に利用した結果である。 キハ200 (1936年 日本車輌東京支店製 元・神中鉄道キハ35 1943年譲受)→鉄道省キハ40359 ボギー車。国家買収(1943年6月)直前の2月に譲受。元はディーゼルカーだが、入線時にガソリンエンジンに換装、木炭代燃化改造した。
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