新しいスピリチュアリティ(新霊性運動)
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「スピリチュアリティ」の記事における「新しいスピリチュアリティ(新霊性運動)」の解説
イギリスの宗教社会学者ジェームズ・アーサー・ベックフォード(James A. Beckford)は、宗教組織にとどまらず医療や教育などの分野にも浸透し発展しているこの「ホリスティックな世界観を持つ文化現象」を「新しいスピリチュアリティ」として考察した。ランカスター大学宗教学教授C.パートリッジは、西洋で伸張した新たなスピリチュアリティの多くは、オカルトやニューエイジ、またUFO、イルカ、東洋の伝統への指向を示すと説明している。またポストモダン・スピリチュアリティは、ニューエイジだけでなくクラブカルチャー、音楽、映画にも等しく見出すことが可能とする。 日本の宗教学でも、1970年代後半から90年代前半になされた新宗教研究、90年代の半ばになされた精神世界・ニューエイジの研究に続き、現代宗教研究の第三波として「スピリチュアリティ」が位置しており、東京大学名誉教授島薗進などがその分析にあたっている。島薗進は、従来の伝統的なキリスト教における霊性と、現在興隆しているスピリチュアリティはかなり形を変えており、欧米でニューエイジ、エソテリスム、日本で精神世界などと呼ばれることが多かったこの「新しいスピリチュアリティ」は「新霊性運動」 または「ニューエイジ系宗教」 と呼称できるといっている。また島薗進は、日本でスピリチュアリティという語が盛んに用いられるようになったのは1990年代以降、アメリカでは1980年代以降で、それ以前も霊性追求はあったが、内からの自己解放という潮流の急速は普及が目に見える運動となって若者を中心に深い影響を及ぼすようになったのはこの頃であるとしている。この潮流には、ニューサイエンス、癒やし、ホスピス、緩和ケア、またビジネスとしても、ヨーガ、気功、気づきのセミナー、意識変容セラピー、エコロジー、アルコール中毒患者のアルコホリクス・アノニマスのようなセルフヘルプ(メンタルヘルスにおける自助グループ)運動などが含まれるとしている。 島薗進らによれば、新しいスピリチュアリティストは既存宗教に対して悪印象を持っており、その理由として、集団への帰属と集団内の権威に服するよう要求したり、自己の宗教のみが正しく他の宗教は無価値とする独善的で排他的な姿勢や、信仰しない者は罰せられることなどを好ましくない性格とみなしているとしている。 上山弓子の説明によれば、新しいスピリチュアリティストはキリストやブッダばかりか、マリア、マイトレーヤ、ソロモン王、大天使ミカエルなどあらゆる最高存在が「指導霊」や「守護霊」になりうると考えられ、いずれの至高存在もけっして絶対的ではなく、聖なるパワーの発信者とみなされて、心より帰依すべき義務は生じない。また上山は、既存の宗教に代替する存在としてのスピリチュアリティ全般にみられる特徴として、 現実的な「今このとき」を主眼に置き、今生での気づきを重視する。 目的は「救い」ではなく、 癒しや幸福である。 重要なのは気づき(アウェアネス)という「知」であり、信仰に至る必要はない。 の三つを挙げている。 教育においても、1995年の阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件を背景にして日本の文教行政においてもスピリチユアルな側面が強調されるようになり、「生きる力」の涵養が主張されるようになった。2002年の中央教育審議会中間報告案では「科学・物質万能の風潮の中で、日に見えないものを大切にするという観点から、あらゆる宗教に共通する普遍的な宗教心を教える必要がある」と書かれた。しかし、各界からの反発を受けて、「国公立学校における特定の宗教のための宗教教育や宗教活動の禁止が適当」とした上で宗教情操は道徳教育の中で取り組みが進められていると結論づけた。この2002年度には「ゆとり教育」が本格始動し、文科省より「心のノート」が全国の小中学校に配布された。
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