新しいモデル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 04:01 UTC 版)
1980年代、オールトの雲には、太陽から約3,000 auから始まり、20,000 auの古典的な雲まで続く内部セクションがある可能性が示唆された。内部オールト雲の天体数は約20兆個とする試算が多いが、その10倍以上の数に上る可能性もある。 内部オールト雲の主なモデルは、1981年に、この領域の名の由来となったロスアラモス研究所の天文学者ジャック・G・ヒルズ(英語版)によって提唱された。彼は、太陽系近くの星の通過が「彗星の雨」を引き起こし、地球上に大量絶滅をもたらした可能性を算出した。 ヒルズの研究によると、ほとんどの長周期彗星の軌道が10,000 auの軌道長半径を持ち、オールトの雲の距離として提唱されているものよりはるかに太陽に近いことを示唆されていた。さらに、周囲の星や銀河潮汐の影響を受けて、オールトの雲の彗星は太陽に近づくか、太陽系の外に送られるはずである。ヒルズはこれらの問題を解決するために、外側のハローの数十倍から数百倍の数の彗星核を持つ内側の雲の存在を提唱した。これは、希薄な外部の雲に新たな彗星の供給源と成り得る。 翌年、他の天文学者が内部オールト雲を探し、長周期彗星を研究した。1982年にはシドニー・ヴァン・デン・バーグ(英語版)が、1983年にはマーク・E・ベイリーが、それぞれ内部オールト雲の構造を提案した。1986年にベイリーは、太陽系の彗星の大半はオールトの雲の領域ではなく、もっと近くの内部オールト雲の中にあり、軌道長半径5,000 auの軌道を描いていると述べた。Victor ClubeとBill Napierの1987年の研究、およびR.B.Stothersの1988年の研究によって、研究はさらに拡張された。 しかし、内部オールト雲が大きな関心を集めたのは、科学者たちがヒルズの理論を再考した1991年になってからであった。
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