日本侠客伝シリーズ
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『日本侠客伝』シリーズ(にほんきょうかくでんシリーズ)は、高倉健主演で、東映によって制作されたヤクザ映画シリーズ[1]。全11作[1][2]。東映京都撮影所製作。『網走番外地』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズと並ぶ高倉健の代表的シリーズである[1]。なお、シリーズとされているが各作品の設定やストーリーに繋がりは無い。
- ^ 俊藤は東映の社員ではない外部の人間で、1960年に岡田から鶴田浩二の引き抜きを頼まれ、これを成功させて東映のプロデューサーとして雇われることになった[32][33][34]。1964年の『博徒』や『日本侠客伝』以前にも『てなもんや三度笠』の映画化など10数本に関わってはいるがまだ大きな実績を挙げていない。実績を挙げたのは1964年の、ほぼ同時に公開された『博徒』の第一作とこの『日本侠客伝』第一作が大ヒットし、さらに後続の映画もヒットさせたことで力を付けていったもので『日本侠客伝』の一作目を製作中にはまだ実績もなく力もない[32]。『博徒』を監督した小沢茂弘は「俊藤は根回し役」と書いている[35]。『日本侠客伝』の製作中に東映の大作映画の主役交代を俊藤主導では決められないと考えられる。俊藤の著書『任侠映画伝』66-67頁に"私が高倉に『日本侠客伝』の主演をやってもらおうと直接交渉した"と書いているが、"高倉と話をするのは初めて"と書いている。初めて話をするような役者をこの時点で俊藤が主役に抜擢できるとは考えにくい。119頁には"高倉に白羽に矢が立てられ~"と書いており、高倉の主演起用は俊藤主導でないことがうかがえる。京都に戻っていた岡田の使者として東京の高倉に交渉に行ったものと考えられる。
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- 1 日本侠客伝シリーズとは
- 2 日本侠客伝シリーズの概要
- 3 シリーズ一覧
- 4 注釈
固有名詞の分類
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