書き下し文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 07:52 UTC 版)
南無大悲観世音、願くは我速かに一切法を知らん。南無大悲観世音、願くは我早く智隷の眼を得ん。南無大悲観世音、願くは我速かに一切の衆を度せん。南無大悲観世音、願くは我早く善方便を得ん。南無大悲観世音、願くは我速かに般若の船に乗らん。南無大悲観世音、願くは我早く苦海を越ゆることを得ん。南無大悲観世音、願くは我速かに戒・定の道を得ん。南無大悲観世音、願くは我早く涅槃の山に登らん。南無大悲観世音、願くは我速かに無為の舎に会はん。南無大悲観世音、願くは我早く法性の身に同ぜん。我若し刀山に向はば、刀山自から摧折せよ。我若し火湯に向はば、火湯自から消滅せよ。我若し地獄に向はば、地獄自から枯場せよ。我若し餓鬼に向はば、餓鬼自から飽満せよ。我若し修羅に向はば、悪心自から調伏せよ。 我若し畜生に向はば、自ら大智慧を得よ。
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書き下し文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 18:55 UTC 版)
乃ち天皇の為に陵を作ると詳り(いつわり)、播磨に詣りて(いたりて)、山陵(みささぎ)を赤石に興つ(たつ)。仍りて船を編みて淡路島に絙し(わたし)、其の島の石を運びて造る。 — 『日本書紀』神功皇后摂政元年2月条(抜粋)
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書き下し文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 05:58 UTC 版)
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書き下し文(部分)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 04:46 UTC 版)
夏四月丙寅朔の戊辰の日に、皇太子、親ら肇めて憲法十七條(いつくしきのりとをあまりななをち)を作る。一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉(ま)がるを直さん。三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。ここをもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下靡(なび)く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。四に曰く、群臣百寮(まえつきみたちつかさつかさ)、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(おのず)から治まる。五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。(略)六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。(略)七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り。(略)八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。(略)九に曰く、信は是義の本なり。(略)十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(略)十一に曰く、功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。(略)十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。(略)十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。(略)十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。(略)十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり。(略)十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。(略) 十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。(略)
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書き下し文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 05:20 UTC 版)
^ 廿九日、辛酉、夜、地震す。この日、関東諸国の地、大いに震裂す。相模・武蔵は特にもっとも甚だしとす。その後、五六日も、震動いまだ止まず、公私の屋舎は一つとして全きものなし。或いは地の窪陥して、往還通せず、百姓の圧死すること勝げて記すべからず。 ^ 三日戊寅、相模国言す。「国分寺金色薬師丈六像一体、狭侍菩薩像二体、元慶三年九月廿九日、地震に遭いて、皆悉く摧破し、その後失火焼損す。望み請ふらくは造り改め、以て御願を修せむ。又、太政官の去る貞観十五年七月廿八日符に依り、漢河寺を以て、国分尼寺と為す。而して同日地震、堂舎頽壊す。請いにより旧の本尼寺を以て国分尼寺となさん」と。詔して并びに之を許す。
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