最後の犠牲者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:31 UTC 版)
「ドイツと連合国の休戦協定 (第一次世界大戦)」の記事における「最後の犠牲者」の解説
11月11日の朝、停戦の知らせは素早く軍に伝わったが、11時に停戦が始まる最後の瞬間まで激しい戦闘が続けられた。多くの砲兵部隊は、予備弾薬を運んで帰ることを嫌ってドイツ軍の目標を砲撃し続けた。連合国軍はまた、戦闘が再開されたときには最も有利な位置にいようとも考えていた。かくして2,738人の兵士が戦争の最終日に命を落とした。 最後に戦死したフランス兵はオーギュスタン・トレブションである。彼は、停戦後に温かいスープが出されるということを戦友に伝えに行く途中で撃たれた。午前10時45分だった。最後に戦死したイギリス兵は第5ロイヤル・アイリッシュ槍騎兵連隊のジョージ・エドウィン・エリソンである。彼はその日の朝9時30分頃、ベルギーのモンス郊外での斥候任務中に戦死した。最後に戦死したカナダ兵はジョージ・プライスである。彼は停戦のわずか2分前、モンスの北で、退却するドイツ兵との路上での戦いで殺された。そして、第一次世界大戦で最後に死んだと考えられているのはアメリカ軍のヘンリー・ガンサー(1895-1918)である。彼は停戦実施のわずか60秒前に、おびえたドイツ軍によって(彼らも停戦が間近であることを知らされていたにもかかわらず)殺された。 ドイツ軍の最後の戦死は11時の停戦の後に発生した。ムーズ・アルゴンヌ方面にいたトマス中尉は、彼とその部下が徴発していた民家をすでに引き払っていることを、接近してくるアメリカ兵に告げるために近付いたが、まだ停戦について知らされていなかった兵士によって射殺された。 エルツベルガーは、ほとんど無条件降伏ともいえる過酷な休戦協定に調印した責任者であったために、極右テロ組織コンスルのメンバーの手で1921年8月26日に暗殺された。
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