服部の「罪」としての逸話とは? わかりやすく解説

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服部の「罪」としての逸話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 22:00 UTC 版)

服部敬雄」の記事における「服部の「罪」としての逸話」の解説

全域絶対的権力振るった人物歴史上少ない山形県に於いて数少ない絶対権力者として君臨したことから、没後四半世紀以上経とうとする今日でも、下記のような服部の「罪」としての権力象徴する様々なエピソード語られている。 『朝日ジャーナル』(1992年平成4年廃刊)で、1985年昭和60年)に「山形の首領ドン)」として、服部のことで特集組まれことがあるその後「続・山形の首領」「続々山形の首領」として掲載された(当時編集長筑紫哲也)。その掲載の度に、山形県内で『朝日ジャーナル』が発売日から売り切れ事態続出当初はその反響大きさとも思われたが、服部サイドによる買い占めも相当行われていた。 「山形花笠まつり」は服部発案始まった祭りである。かつては初代山形藩主・最上義光を祭る「義光祭(ぎこうさい)」が開かれていたが、これに代えたのである祭り間中ゲストとして歌手呼ばれ山車行列をするが、服部陣取る貴賓席前に来ると、ゲスト山車から降りて服部頭を下げて挨拶することが恒例であった今日でも、同まつりを「服部まつり」や「山新まつり」と揶揄する者もいる。 祭りエピソードに見るように、最上義光批判的で、『山形新聞』や、当時編纂進んでいた『山形市史』『山形県史』にもその意向反映されたという。1989年大河ドラマ独眼竜政宗』に便乗して最上義光記念館(現:歴史館)を開館させたが、服部生前史料提供などを断られることが多かったという。 山形市中心部に、山形新聞グループ経営していた山形グランドホテルがある。同ホテル開催されたイベントは、小規模なイベントであっても山形新聞グループマスコミ各社取材訪れていた。逆に山形グランドホテル発生した食中毒事件は、NHK除いて山形県内一切報道されることはなかった。 山形グランドホテルライバルとされているホテルキャッスルは、1981年昭和56年)の開業時山形新聞山形放送広告拒否され以来1989年平成元年)のテレビユー山形TUY開局まで山形県内マスコミ通じて広告を出すことができず、また大きなイベントがあっても山形新聞グループ取材に来ることはほとんどないため、「ホテルキャッスル」という言葉NHK全国紙以外の山形報道機関報じられることは全くなかった。なお、ホテルキャッスルは、山形空港開港時に服部直接懇請し東京-山形線就航させた(後述全日本空輸提携しているが、ライバル航空会社であった当時日本エアシステム山形支店は、山形新聞グループ山形グランドホテル一角間借りするというねじれがあった。 山形商工会館がホテルキャッスルの向かい側移転し観光物産館開設するという計画持ち上がったが、服部猛反対計画中止せざるを得なくなった移転予定用地地元銀行の手渡り長年駐車場として運用されてきたが、2007年平成19年)、高層マンション竣工した1979年昭和54年11月東洋大学から社会学博士号を授与される服部はこれを非常に喜び同大多額寄付金出したまた、元日山形新聞掲載される社主年頭挨拶肩書きにも「社会学博士」と明記された。 戦後一時期労働争議により追放され経験からか、極めて労働運動へ警戒感強く配下の企業では組合存在認められない当然のことながらこれは不当労働行為)ところが多かった社員への訓辞では「アカ嫌いだ組合運動をするなら会社辞めろ」が口癖だったという。その影響山交バス労働組合は、民営バス労働組合のほとんどが加盟する総評系の私鉄総連ではなく、旧同盟系の交通労連加盟しており、「有価証券報告書」にも「ストライキはありません」と記載されている。 平成新局となったテレビユー山形TUY)とエフエム山形開局には一貫して反対していたことから、対抗策として、当時FNN系列山形テレビにて映画出資金貨発行バイオ科学研究所を設立した失敗し経営難喘いだ服部死後開局当時希望していたテレビ朝日系列経営救済面を含めネットチェンジをしたが、当時人気のあったFNN系列からのネットチェンジには県民からの猛反発を買い、大いなる「罪」となってしまった。フジテレビ系列としては、さくらんぼテレビ1997年平成9年4月開局している。 服部の没の前後の頃、グループ企業自己の権威保持するためにそれらを阻止し続けていた全国チェーン大手コンビニ日本マクドナルドがようやく進出したマクドナルド1990年平成2年12月県内1号店開業したが、これは同年5月旧ソビエト連邦(現ロシア連邦)の首都モスクワへ出店よりもさらに後となった

※この「服部の「罪」としての逸話」の解説は、「服部敬雄」の解説の一部です。
「服部の「罪」としての逸話」を含む「服部敬雄」の記事については、「服部敬雄」の概要を参照ください。

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