服部の「罪」としての逸話
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「服部敬雄」の記事における「服部の「罪」としての逸話」の解説
県全域に絶対的権力を振るった人物が歴史上少ない山形県に於いて、数少ない絶対権力者として君臨したことから、没後四半世紀以上経とうとする今日でも、下記のような服部の「罪」としての権力を象徴する様々なエピソードが語られている。 『朝日ジャーナル』(1992年(平成4年)廃刊)で、1985年(昭和60年)に「山形の首領(ドン)」として、服部のことで特集が組まれたことがある。その後「続・山形の首領」「続々山形の首領」として掲載された(当時の編集長は筑紫哲也)。その掲載の度に、山形県内で『朝日ジャーナル』が発売日から売り切れる事態が続出。当初はその反響の大きさとも思われたが、服部サイドによる買い占めも相当行われていた。 「山形花笠まつり」は服部の発案で始まった祭りである。かつては初代山形藩主・最上義光を祭る「義光祭(ぎこうさい)」が開かれていたが、これに代えたものである。祭り期間中ゲストとして歌手が呼ばれ、山車行列をするが、服部が陣取る貴賓席の前に来ると、ゲストは山車から降りて服部に頭を下げて挨拶することが恒例であった。今日でも、同まつりを「服部まつり」や「山新まつり」と揶揄する者もいる。 祭りのエピソードに見るように、最上義光に批判的で、『山形新聞』や、当時編纂の進んでいた『山形市史』『山形県史』にもその意向が反映されたという。1989年、大河ドラマ『独眼竜政宗』に便乗して最上義光記念館(現:歴史館)を開館させたが、服部の生前は史料提供などを断られることが多かったという。 山形市の中心部に、山形新聞グループが経営していた山形グランドホテルがある。同ホテルで開催されたイベントは、小規模なイベントであっても山形新聞グループのマスコミ各社が取材に訪れていた。逆に山形グランドホテルで発生した食中毒事件は、NHKを除いて山形県内で一切報道されることはなかった。 山形グランドホテルのライバルとされているホテルキャッスルは、1981年(昭和56年)の開業時に山形新聞、山形放送に広告を拒否されて以来、1989年(平成元年)のテレビユー山形(TUY)開局まで山形県内でマスコミを通じての広告を出すことができず、また大きなイベントがあっても山形新聞グループが取材に来ることはほとんどないため、「ホテルキャッスル」という言葉がNHKと全国紙以外の山形の報道機関で報じられることは全くなかった。なお、ホテルキャッスルは、山形空港開港時に服部が直接懇請し、東京-山形線を就航させた(後述)全日本空輸と提携しているが、ライバル航空会社であった当時の日本エアシステム山形支店は、山形新聞グループの山形グランドホテルの一角に間借りするというねじれがあった。 山形商工会館がホテルキャッスルの向かい側に移転し、観光物産館も開設するという計画が持ち上がったが、服部の猛反対で計画は中止せざるを得なくなった。移転予定用地は地元銀行の手に渡り、長年駐車場として運用されてきたが、2007年(平成19年)、高層マンションが竣工した。 1979年(昭和54年)11月、東洋大学から社会学博士号を授与される。服部はこれを非常に喜び、同大に多額の寄付金を出した。また、元日の山形新聞に掲載される社主年頭挨拶の肩書きにも「社会学博士」と明記された。 戦後一時期、労働争議により追放された経験からか、極めて労働運動への警戒感が強く、配下の企業では組合の存在が認められない(当然のことながらこれは不当労働行為)ところが多かった。社員への訓辞では「アカは嫌いだ。組合運動をするなら会社を辞めろ」が口癖だったという。その影響で山交バスの労働組合は、民営バスの労働組合のほとんどが加盟する旧総評系の私鉄総連ではなく、旧同盟系の交通労連に加盟しており、「有価証券報告書」にも「ストライキはありません」と記載されている。 平成新局となったテレビユー山形(TUY)とエフエム山形の開局には一貫して反対していたことから、対抗策として、当時FNN系列の山形テレビにて映画出資や金貨発行、バイオ科学研究所を設立したが失敗し、経営難に喘いだ。服部死後、開局当時希望していたテレビ朝日系列に経営救済面を含めネットチェンジをしたが、当時人気のあったFNN系列からのネットチェンジには県民からの猛反発を買い、大いなる「罪」となってしまった。フジテレビ系列としては、さくらんぼテレビが1997年(平成9年)4月に開局している。 服部の没の前後の頃、グループ企業と自己の権威を保持するためにそれらを阻止し続けていた全国チェーンの大手コンビニや日本マクドナルドがようやく進出した。マクドナルドは1990年(平成2年)12月に県内1号店が開業したが、これは同年5月の旧ソビエト連邦(現ロシア連邦)の首都、モスクワへの出店よりもさらに後となった。
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