木南車輌製造
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木南車輛製造株式会社(きなみしゃりょうせいぞう)はかつて日本に存在した鉄道車両メーカーである。
注釈
- ^ 藤田吾郎「応用 車両メーカー研究概論」(3) 事例研究・その1/木南車両と泉州工機(『鉄道ピクトリアル』1997年1月号(No.631) pp.130-132掲載)では、南海堺貨物駅の片隅で開業となっている。
- ^ 会社設立は1938年12月
- ^ 資料によっては1952年(昭和27年)
- ^ 堺市西区浜寺公園町1丁にあった病院。南海本線浜寺公園駅と阪堺電気軌道阪堺線浜寺駅前停留場近くの両路線に挟まれた地にあった。元々木南車輌製造の寮であったところに工場内の診療所から医療機器を移し、1945年に開設した。その後、施設の老朽化などもあり2019年(平成31年)3月31日に閉院し、系列の堺温心会病院(堺市中区)と合併の上、堺市中区の泉北高速鉄道線深井駅近くに「堺平成病院」として移転した(浜寺中央病院を運営していた医療法人恵泉会が継承)[5][6]。
出典
- 1 木南車輌製造とは
- 2 木南車輌製造の概要
- 3 エピソード
- 4 創業者・木南吉三
木南車輌製造
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「ボールドウィンA形台車」の記事における「木南車輌製造」の解説
木南車輌製造は新興の鉄道車両製造メーカーとして車体については個性的な設計で知られているが、台車についてはいずれも他社製品のデッドコピー品となっており、本形式の設計に由来する釣り合い梁式台車も少数ながら製造している。 KN-16:日本車輛製造D-16の同等品。南海モハ1201形に装着された。ただし、通常は破断事故の発生を防ぐ意味で鍛造部品とされる釣り合い梁が圧延鋼板の切り抜きで作成されるなど、戦時体制下での製造という事情も手伝って品質面では思わしくなかったと伝えられている。これらは戦後モハ1201形の主電動機をMB-146-SFRからMB-280-AFRに換装してモハ1551形へ改造した際に、一旦は主電動機支持架を強化した上で流用されたが、結局強度不足などから新型台車への換装を余儀なくされた。このため、比較的早期に全数が廃却されている。
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