杉村清子
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杉村 清子(すぎむら せいこ)は、日本の陸上競技(短距離走、走幅跳)選手。1940年代末から50年代初頭にかけて活躍。第1回アジア大会(1951年)で3つの金メダル(個人2、リレー1)を挙げ、1952年ヘルシンキオリンピックの有力選手と目されたが、合宿中に病に倒れて闘病生活を余儀なくされた[1]。
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注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i 村山茂代 2016, p. 65.
- ^ a b “過去の優勝者・記録 女子100m”. 第97回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2021年3月13日閲覧。
- ^ a b c d e “日本学生記録の変遷 女子100m”. 日本学生陸上競技連合. 2021年3月13日閲覧。
- ^ a b “日本学生記録の変遷 女子走幅跳”. 日本学生陸上競技連合. 2021年3月13日閲覧。
- ^ a b “日本学生記録の変遷 女子200m”. 日本学生陸上競技連合. 2021年3月13日閲覧。
- ^ 【話の肖像画】56年前の夢特急(1)ヘルシンキ五輪陸上女子代表・星野綾子さん 産経新聞 2008年8月11日閲覧
- 1 杉村清子とは
- 2 杉村清子の概要
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