東寺百合文書とは? わかりやすく解説

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とうじ‐ひゃくごうもんじょ〔‐ヒヤクガフモンジヨ〕【東寺百合文書】

読み方:とうじひゃくごうもんじょ

東寺教王護国寺)に伝わる文書群平安時代から江戸時代初期までの仏事寺院経営などに関するさまざまな文書で、数は2万通を越える。名称は、加賀藩主前田綱紀文書収めるために百の桐箱寄進したことから。国宝また、平成27年2015)には世界の記憶指定された。


東寺百合文書

読み方:トウジヒャクゴウモンショ(toujihyakugoumonsho)

教王護国寺古文書総称


東寺百合文書(二万七千六十七通)

主名称: 東寺百合文書(二千六十七通)
指定番号 55
枝番 00
指定年月日 1997.06.30(平成9.06.30)
国宝重文区分 国宝
部門種別 古文書
ト書
員数 3863巻、1172冊、6帖、67幅、13695通
時代区分 奈良江戸
年代
検索年代
解説文:  東寺百合文書は教王護国寺宝蔵御影堂伝来した寺院文書で、奈良時代から江戸時代初期までの全二四、〇六七通に及ぶ膨大な史料群である。
 本文書は近世入り幾度か整理なされるが、その最大のものが加賀藩主前田綱紀による整理調査であった前田綱紀後藤演乗等に命じて調査謄写行い、その作業終了した貞享二年(一六八五)に文書箱を寄進して、文書収めさせた。このうち現存しているのは、片仮名四六箱、平仮名四八箱の計九四箱である。今回国宝指定にあたり保存修理によって開披可能となった伊勢国川合関係文書宝荘厳院重書案などの新出文書五三通を新たに追加している。
 東寺平安時代真言密教根本道場として朝廷などの保護を受け、中世においても大師御影堂信仰によって公武はじめとする信仰集め多く庄園領有した権門寺院である。こうした東寺宗教活動寺院経済に関する史料である本文書は函ごとにある程度まとまり収められている。本文書の特徴は、まず東寺学衆供僧寺家文書である仏事法会祈祷評定引付などにかかわる文書中心占め次に公武との交渉伝え文書が多いことである。これらのなかには太政官牒官宣旨などの平安時代太政官文書まとまっているほか、綸旨院宣摂関家御教書東寺長者御教書鎌倉・室町幕府関係の文書など、各時代文書各様式の文書含まれている。
 寺院中心的活動である仏事法会祈祷に関する文書には、修僧の請定・廻請・交名着到巻数返事等がみられる。うち後七日御修法修僧交名平安時代後期から江戸時代前期まで連続してまとまっている点は注目される供僧組織評定記録である評定引付はその記録史料として性格からひとつの事件関連する記述系統的で、かつその具体記載から寺院活動包括的に知りえる重要な史料である。鎌倉・室町幕府関係では、永仁の徳政令である永仁五年(一二九七)三月六日関東事書案などがあり、また足利将軍家東寺鎮守八幡宮対す信仰から山城国久世庄などの庄園寄進にともなう関連文書までが多数残されている。とくに東寺領有した四一か国二百余庄にわたる庄園に関する多数文書は、中世社会実態を最もよく伝えた史料としてわが国庄園研究上に重要視されている。これらのなかには建武元年一三三四八月若狭国太良庄百姓申状連署起請文寛正四年(一四六三)の備中国新見領家代官祐清殺害事件事後処理過程作成され女性たまがき書状のように歴史上著名な文書少なくない。また庄園村落様子伝え絵図類多くあるのも特色である。なかでも桂川用水図案は、明応四年(一四九五)の山城国西岡五ケ庄と、対岸位置する西八条西庄との分水をめぐる相論過程証拠書類として作成され用水差図として、それに併せて相論文書残されている点、中世農民生活実態伝えて注目される
 このように百合文書仏教史寺院史、寺院制度研究上に貴重であるのみならず中世社会全体構造解明する基本史料として質量ともに最も優れたわが国最大文書史料である。また本文書の大部分作成当時の状態をよく残しており、古文書学上にもきわめて価値が高い。

東寺百合文書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 00:29 UTC 版)

東寺文書」の記事における「東寺百合文書」の解説

東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)は、東寺宝蔵伝わった文書群である。宝蔵伝来文書一部西院霊宝移され京都大学譲渡されたもの(教王護国寺文書)もあるが、大部分京都府立総合資料館(現:京都府立京都学・歴彩館)の保管となっている。同館保管24,067通は、1997年国宝指定されている。世界記憶遺産推薦対象となり、2015年10月10日に登録が決定した江戸時代に入るまでは、東寺文書革袋様々な箱に入れられ保管されていた。貞享2年1685年)に加賀藩藩主前田綱紀東寺文書書写行った際に謝礼として、文書目録作成しなおかつ平仮名片仮名それぞれのいろは順と「京」の字が付けられ桐箱100合を製作・収納して東寺返還した伝えられている。しかし、現存桐箱94合であること、そもそも平仮名片仮名・「京」の総数100合に満たないことから、加賀藩100納めたものが破損などで失われてしまったのか、それとも100概数みるべきか、謎とされていた。1997年東寺宝物館で『東寺文書十万通の世界』展の開催際し上島有らが調査した結果前田綱紀寄進した文書箱は元々93であったこと、残り1合の文書箱は材質異なりモミ材)、後補であることが判明したいずれにしても、この文書箱が100合あったとされたことから、これらの文書を「東寺百合文書」と称するようになった前田綱紀松平定信伴信友による書写事業膨大な文書の一部行ったにすぎず、明治19年1886年帝国大学臨時編年史編纂掛現在の東京大学史料編纂所)が京都府共同行った大日本編年史編纂事業明治政府の修史事業参照のこと)の一環として東寺文書調査と『東寺古文書目録作成の際にも、土地台帳絵図算用状などには関心払われずに箱の底に打ち捨てられ明治31年1899年)に実施され影写本作成の際にも顧みられことはなかった。百合文書全面的な目録作成実施されたのは、京都府立総合資料館移され後のことであり、この際これまで顧みられてこなかった約5,000通分含めた目録作り直し及び整理作業実施され昭和55年1980年)までに『東寺百合文書目録』(全5巻)が発行された。平成9年1997年)には国宝指定された。『大日本古文書10東寺文書」』の公刊が、東京大学史料編纂所続けられ、また並行し京都府立総合資料館思文閣出版発行)による公刊続けられている。『大日本古文書』は「い函」から順に平仮名函を翻刻し、京都府立総合資料館編『東寺百合文書』は「イ函」から順に片仮名函を翻刻している。平成26年2014年)にウェブで、京都府立総合資料館所蔵する本文書の画像約8万点公開開始された。 東寺領する著名な荘園例え山城国乙訓郡の上久世荘・下久世荘、若狭国太良荘播磨国矢野荘丹波国大山荘、肥後国鹿子木荘などの経営に関する文書長期的かつ継続的に保管されていることや、寺内会議議事録である「供僧評定引付」が大量に保管されていることなど、古代中世中心とした大寺院の運営の実態政治・経済・社会宗教など各分野からの分析可能にしている。

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「東寺百合文書」を含む「東寺文書」の記事については、「東寺文書」の概要を参照ください。

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