東日本地区
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「東北本線優等列車沿革」も参照 東北を中心とした東日本地区での使用車両は、以下の車両基地に配置された。 仙台運転所(→仙台電車区→仙台車両センター) 青森運転所(→青森車両センター→盛岡車両センター青森派出所) 秋田運転区(→南秋田運転所→秋田車両センター→秋田総合車両センター南秋田センター) 勝田電車区(→勝田車両センター) 上沼垂運転区(→新潟車両センター) 1965年に483系48両が仙台運転所に配置され、同年10月1日の東北本線仙台 - 盛岡間電化に伴うダイヤ改正より上野 - 盛岡間「やまびこ」1往復、上野 - 仙台間「ひばり」2往復での運転を開始した。当初は、8両編成x2本が1本充当、10両編成x3本が2本充当とし、それぞれ1編成ずつが予備。サロ481形2両が増結用を兼ねた予備車として運用された。 ← 上野 仙台・盛岡 → 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 クハ481 モハ482 モハ483 サロ481 サシ481 モハ482 モハ483 モハ482 モハ483 クハ481 備考 運転開始当初はMM'ユニット2組が落成待ちのため翌1966年3月まで「ひばり」1往復は盛岡方MM'ユニット1組減車の8両で運転。 8両編成運用 仙台1800(2M 第二ひばり)2235上野0800(1M 第一ひばり)1235仙台 10両編成運用 仙台0800(6M 第一ひばり)1235上野1400(3M やまびこ)2105盛岡 盛岡0850(4M やまびこ)1600上野1800(5M 第二ひばり)2235仙台 繁忙期には増4号車としてサロ481形1両を増結した向日町運転所編成と同一の組成をして運転された実績がある。 1968年10月1日ダイヤ改正により、奥羽本線米沢 - 山形間が交流20,000 V・50 Hzで電化され、上野 - 山形間の特急「やまばと」が電車化された。これに合わせて交流50 Hz・60 Hz両用の485系が初投入され、仙台運転所に45両が配置された。また「ひばり」も2往復から6往復に「やまびこ」1往復が増発され本系列による運用となった。このほか「やまばと」に併結していた会津若松発着編成は「あいづ」として独立させ、改正に先立ち同年9月17日から本系列で運転開始となった。 奥羽本線福島 - 米沢間では板谷峠区間に平均33.3 ‰、赤岩駅付近には最大38.0 ‰の急勾配があり、MM'ユニット1組が故障した際も上り勾配で起動可能なMT比2:1にする必要が生じた。仙台運転所の10両編成は6M4TのためMT比2:1を満たせず、奥羽本線は変電所容量からMM'ユニットは3組までに制限されたため8M4Tの12両編成の組成が不可であったこと。さらに「あいづ」も磐越西線内ホーム有効長の関係から9両まで制約もあり、MT比2:1で1等車・食堂車を組み込んだ編成組成が要求された。このため仙台運転所編成は、サロ481形に先頭車化改造を施工した7両と新製車4両のクロ481形を落成させ上野方先頭車として組込んだ6M3Tの9両編成に組成変更した。 上述した組成変更に対応して、同年6月までにクロ481-1 - 4とクハ481-29を落成させダイヤ改正前の6月11日から9両編成での運転が行われた。ただし夏期繁忙期の7月19日 - 9月24日までは、早期落成したMM'ユニット5組を活用し、仙台方クハ481形の次位に組込み11両編成での運転を実施。 配置は9両編成x10本と予備車7両の計97両となったが、10編成すべてで「ひばり」6往復・「やまびこ」1往復・「やまばと」2往復・「あいづ」1往復に充当となったことから、当初は「ひばり」1往復を季節列車とし、1969年6月に9両編成x1本を増備。同年10月1日ダイヤ改正で定期列車化した。 仙台運転所運用(1969年10月) 運用1:仙台1830(24M ひばり6)2228上野 運用2:上野0900(13M ひばり2)1258仙台1420(20M ひばり4)1818上野【1856(8023M ひばり51)2258仙台】 運用3:【仙台0543(8012M ひばり51)0955】上野1100(15M ひばり3)1458仙台1600(22M ひばり5)1958上野 運用4:上野0730(11M ひばり1)1128仙台1220(18M ひばり3)1618上野1700(1015M やまばと2)2135山形 運用5:山形0755(1012M やまばと1)1230上野1320(1011M やまばと1)1755山形 運用6:山形1235(1016M やまばと2)1710上野…東京1825(23M ひばり6)2225仙台 運用7:仙台0900(14M ひばり2)1258上野1415(1013M あいづ)1750会津若松 運用8:会津若松1035(1014M あいづ)1410上野1500(19M ひばり4)1858仙台 運用9:仙台0730(12M ひばり1)1130東京1255(17M やまびこ)1915盛岡 運用10:盛岡0900(16M やまびこ)1520東京…上野1630(21M ひばり5)2028仙台 斜体:1968年10月1日 - 1969年9月30日は季節列車(6012M・6011M) 【】:臨時列車で運転日以外は上野口で夜間滞留 1970年7月1日ダイヤ改正では、高需要のため同年5・7月にモハ485・484-34 - 39・サハ481-1 - 6を新製配置し、「ひばり」3往復と「やまびこ」1往復を12両編成化。予備車の活用も含め12両編成x5本で4運用充当、9両編成x7本で6運用充当となり、「ひばり」1往復が増発された。 本改正に先立ち同年6月21日から、既存の9両編成も含み順次3号車のサシ481形と4・5号車のMM'ユニットを入替て食堂車を6号車にする組成変更が実施された。 さらに同年9月11日にはモハ485・484-40 - 43・サハ481-7 - 10が落成、10月1日ダイヤ改正では12両編成x9本で8運用充当、9両編成は編成両数制約のある「あいづ」と送り込みならびに帰所を兼ねた「ひばり」1往復のみの2運用充当となった。 1972年3月15日ダイヤ改正では、1971年2月以降に46両の新製と向日町運転所からサシ481-22の転入による大量増備が行われ「やまびこ」2往復「ひばり」2往復「やまばと」1往復が増発された。 本改正に向けた増備車のうちクロ481形・クハ481形は設計変更を行った100番台となった。 ダイヤ改正までの車両有効活用の面から、臨時列車も増発。中には滞留先を入れ替える夜行運転による充当も行われたほか、後述する青森運転所への配置開始後には全電化区間をキハ81系気動車で運転していた「ひたち」臨時2往復に充当しており、本系列としては初めて常磐線での営業運転が実施されたした。 本改正後の同年6月15日から新たに青森運転所へサロ481形を組込んだ12両編成x3本と予備車9両の計45両が配置され、当初は仙台運転所からの運用移管で「ひばり」3往復と「やまびこ」臨時2往復を担当した。 出入所運用がなかったため車両は仙台運転所へ常駐による対応となった。 クロ481-102「ひたち」 1972年10月2日ダイヤ改正では、同年8月5日に交流電化された羽越本線新津 - 秋田間ならびに奥羽本線秋田 - 青森間でキハ81・82系気動車で運転されていた「白鳥」「いなほ」と間合い運用で充当されていた「ひたち」の本系列化 ならびにさらなる増発ともに一部列車のエル特急化が行われ、以下の変更が実施された。 青森運転所 配置を131両まで拡大し以下の運用を担当。13両編成(2本充当) 「白鳥」大阪 - 青森1往復 12両編成(7本充当) 「いなほ」上野 - 秋田・青森(上越線・羽越本線経由)2往復 「やまびこ」上野 - 盛岡3往復 「ひばり」上野 - 仙台4往復 仙台運転所 12両編成(9本充当) 「やまびこ」東京・上野 - 盛岡2往復 「ひばり」東京・上野 - 仙台6往復 「やまばと」上野 - 山形3往復 9両編成(4本充当) 「ひたち」上野 - 平(現・いわき)・原ノ町・仙台(常磐線経由)5往復 「あいづ」上野 - 会津若松1往復 仙台運転所運用では、「ひばり」への9両編成充当が終了し、「あいづ」は「ひたち」と共通運用に変更となった。青森運転所への増備は改正後も続き、11月1日から「やまびこ」は休日運転1往復を含む3往復充当に変更。翌1973年3月24日からは「はつかり」季節列車1往復にも充当された。 「白鳥」は大阪 - 青森間で直流1500 V・交流20,000 V・50 / 60 Hzの3種類電化方式区間を通過するため481系・483系は使用できず、3電源対応の485系を活かす初めての列車となった。 青森運転所の運用は長距離かつ仙台・盛岡・秋田などで停泊が続き1週間近く帰所できず、不定期列車の運休日には丸一日上野口で停泊や折り返し間合時間を長めに取られる物も存在した。これは首都圏側に配置車両がなかったため車両故障や雪による遅延でダイヤが混乱した際、後続の折り返し列車に停泊編成を充当させることで定時性確保や不用意な運休を避けるための措置である。しかし運用変更を多用すると検修周期の問題が発生し、予定外の場所で検査切れになるケースもあるため青森 - 上野で回送列車を仕立てたり仙台運転所の車両で代走させるなどして対応した。 1973年1月にはサロ481-84 - 86を仙台運転所へ新製配置。同月31日から12両編成に組込「ひばり」2運用3往復がグリーン車2両組込13両編成での運転が開始され、東北特急の編成は以下の5種類になった。 ← 上野・大阪 仙台・青森 → 仙台運転所編成 9両(6M3T) クロ481 モハ484 モハ485 モハ484 モハ485 サシ481 モハ484 モハ485 クハ481 12両(8M4T) クロ481 モハ484 モハ485 モハ484 モハ485 サシ481 モハ484 モハ485 サハ481 モハ484 モハ485 クハ481 13両(8M5T) クロ481 サロ481 モハ484 モハ485 モハ484 モハ485 サシ481 モハ484 モハ485 サハ481 モハ484 モハ485 クハ481 青森運転所編成 12両(8M4T) クハ481 サロ481 モハ484 モハ485 モハ484 モハ485 サシ481 モハ484 モハ485 モハ484 モハ485 クハ481 13両(8M5T) クハ481 サロ481 サロ481 モハ484 モハ485 モハ484 モハ485 サシ481 モハ484 モハ485 モハ484 モハ485 クハ481 備考 仙台運転所MM'ユニットはモハ483・モハ482の場合あり 仙台運転所13両編成は「ひばり」専用 青森運転所13両編成は「白鳥」専用 仙台運転所所属「ひばり」専用13両編成上野方2両がクロ481形+サロ481形 1973年3月31日をもって東京 - 上野間の回送線を使用した特急運転が東北・上越新幹線工事の影響で廃止されることになり、「やまびこ」「ひばり」の東京駅乗り入れが中止。同年10月1日ダイヤ改正では「はつかり」「ひばり」2往復「ひたち」1往復を12両編成で増発し、「やまびこ」運用をすべて青森運転所へ集約。1974年4月1日からは「ひたち」運用の12両編成充当を1往復から3往復に増強し、1975年3月10日ダイヤ改正で「ひたち」はさらに2往復増発で8往復体制となり、東北特急は以下の体制となった。 青森運転所 13両編成(2本充当) 「白鳥」大阪 - 青森1往復 12両編成(16本充当) 「はつかり」上野 - 青森(東北本線経由)2往復 「いなほ」上野 - 秋田・青森(上越線・羽越本線経由)2往復 「やまびこ」上野 - 盛岡5往復 「ひばり」上野 - 仙台4往復 「やまばと」上野 - 山形1往復 仙台運転所 13両編成(2本充当) 「ひばり」上野 - 仙台3往復 12両編成(9本充当) 「ひばり」上野 - 仙台3往復 「やまばと」上野 - 山形2往復 「ひたち」上野 - 山形2往復 「ひたち」上野 - 平・原ノ町・仙台(常磐線経由)5往復 「あいづ」上野 - 会津若松1往復 9両編成(3本充当) 「ひたち」上野 - 平・原ノ町・仙台(常磐線経由)3往復 「あいづ」上野 - 会津若松1往復 度重なる増備にも関わらず、車両不足や運用に余裕がないなどの諸事情で本来特急列車として運転されるところを455・457系電車による急行列車として運転された列車に臨時急行「エコーもりおか」と仙台 - 青森の「くりこま」がある。詳細についてはこちらも参照。 同年5月以降は仙台運転所12両編成に組成されていたクロ481形とサハ481形は、翌1976年から運転される「かもめ」「みどり」へ転用のためクハ481形とサロ481形に差替えられた。 1975年11月には、奥羽本線秋田電化によりキハ181系で運転されていた「つばさ」を電車化。秋田運転区に当初は200番台、翌年から1000番台が投入されるが、この頃が東北方面本系列特急のピークである。 「つばさ」は1日2往復運転のために本来3編成でも運用が可能なところ、有効時間帯の見直しも含め4編成での運用を行った。これは豪雪地帯である奥羽本線内で雪による遅延に備え、当初は在来車による運行を考慮したためである。このため秋田運転区には、12両編成x5本と予備車のMM'ユニット1組2両・クハ481形2両・サロ481形1両・サシ481形1両計66両、1976年4月の1000番台置換え後は12両編成×6本の計72両が配置された。 運用1:秋田0840(1042M つばさ1)1616上野 運用2:上野0804(1041M つばさ1)1539秋田 運用3:秋田1340(1044M つばさ2)2115上野 運用4:上野1204(1043M つばさ2)1939秋田 従来の東北特急では、583系を含みグリーン車が上野寄り1・2号車のどちらかもしくは双方に組成されていたのに対し「つばさ」では6号車に組成された。これは3MG方式を導入する1000番台投入時に再び編成変更して乗客などに混乱を与えない配慮もあったが、トラブル発生時に運転台から給電区分を簡単に変更するには編成中央部付近にMG・CP装備のサロ481形1000番台が組成されている方が都合がいいためでもある。 1978年10月2日ダイヤ改正では、「はつかり」1往復「ひばり」2往復「ひたち」3往復「やまばと」1往復区間延長→「つばさ」増発を実施したが、東北本線・高崎線で規格ダイヤが導入され特急列車の所要時間が軒並み増大した。なお本改正では、食堂車を営業休止する列車も設定されたほか、上野口特急グリーン車連結位置に関して信越・上越方面の列車も含めて連結位置を統一する動きがあり、仙台運転所のクロ481形組込9両編成と臨時列車として設定されていた183系1000番台7両編成の「白根」を除き6号車、2両組込編成では6・7号車に統一されたことを含め以下の編成変更や運用移管が行われた。 青森運転所(12両編成x22本 予備車5両) 12両編成はグリーン車を6月から順次6号車に変更 「白鳥」用13両編成は改正前の8月8日からグリーン車1両を減車し、同月15日から6号車に変更。 「やまばと」1往復ならびに秋田発着「いなほ」を秋田運転区へ移管 運用は17編成で以下の列車に充当「白鳥」大阪 - 青森1往復 「はつかり」上野 - 青森(東北本線経由)3往復 「いなほ」上野 - 青森(上越線・羽越本線経由)2往復 「やまびこ」上野 - 盛岡4往復 「ひばり」上野 - 仙台4往復 秋田運転区(12両編成x12本) 運用は9編成で以下の列車に充当「つばさ」上野 - 秋田(奥羽本線経由)3往復 「いなほ」上野 - 秋田(上越線・羽越本線経由)1往復 「やまばと」上野 - 山形3往復 1979年7月1日より2編成増備で秋田発着「いなほ」1往復を増発。仙台運転区(12両編成x15本 9両編成x6本 予備車5両) 13両編成は改正前の5月26日から随時サハ481形を抜き取り12両へ短縮。さらに9月21日からクロ481形をクハ481形に置換えてグリーン車2両組込編成は消滅した。 従来から在籍していた12両編成も9月21日からグリーン車連結位置を変更。 9両編成はサシ481形→サハ481形に置換え。 「やまばと」運用を秋田運転区へ移管。 12両編成は12本で以下の列車に充当。「ひばり」上野 - 仙台(東北本線経由)11往復 「ひたち」上野 - 平・原ノ町・仙台(常磐線経由)6往復 9両編成は4本で以下の列車に充当。「ひたち」上野 - 平・原ノ町・仙台(常磐線経由)5往復 「あいづ」上野 - 会津若松1往復 1982年の東北・上越新幹線大宮暫定開業に伴い上野発着「いなほ」は「鳥海」に改称し1往復のみ残置。奥羽本線・磐越西線直通特急の一部と「ひたち」を除き軒並み廃止・削減され、主力は食堂車を不連結とした編成に再組成した上で以下の新幹線連絡列車となった。 盛岡 - 青森(東北本線経由)「はつかり」 盛岡 - 秋田・青森(田沢湖線・奥羽本線経由)「たざわ」 新潟 - 秋田・青森「いなほ」 1985年3月14日ダイヤ改正による東北・上越新幹線上野開業では東北特急は新幹線連絡の性格を強め短編成化が実施されると共に以下の変更を実施。 「やまばと」全廃 「鳥海」臨時列車格下げ 「白鳥」運用を向日町運転所に移管 東北本線経由で本系列による上野発着列車は「つばさ」と共通運用の「あいづ」各1往復。 常磐線急行「ときわ」はすべて「ひたち」に格上げし運用を勝田電車区に移管 下り12本・上り11本を増発し下り24本・上り23本の運転体制に変更 これにより仙台運転所の本系列配置がゼロになると共に九州からクハ481形初期ボンネット車が多数転入した。 1986年11月1日ダイヤ改正では上沼垂運転区に72両を配置。9両編成x8本を組成し、以下の運用に充当された。 運用1:新潟0904(4018M 雷鳥18)1556大阪 運用2:大阪1040(5001M 白鳥)2340青森 運用3:青森0450(5002M 白鳥)1801大阪 運用4:大阪0750(4003M 雷鳥3)1437新潟1700(1018M 北越8)2045金沢 運用5:金沢0744(1013M 北越3)1142新潟1315(4030M 雷鳥30)2005大阪 運用6:大阪1150(4013M 雷鳥13)1844新潟 臨時1:新潟1119(8021M いなほ81)1402酒田1503(8024M いなほ84)新潟 臨時2:新潟(回送)長岡0841(9030M 北越80)1128金沢1633(9035M 北越85)1742長岡(回送)新潟 この体制で国鉄分割民営化を迎えた。
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東日本地区
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東日本地区(特に関東地方)においては、豚肉を3~4cm角に切ったものと、玉葱もしくは長葱を切ったものを交互に串に刺し、豚カツの要領でパン粉をまぶして揚げたものを「串カツ」と呼ぶ。惣菜として販売されるほか、定食屋やとんかつ専門店のメニューの一つとして千切りキャベツを添えて皿盛りで提供される。味付けにはとんかつソースや中濃ソースが用いられる。 この種の串カツが一般的な地方では、後述する大阪発祥の串カツのことは「串揚げ(くしあげ)」と呼んで区別することが多い。
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