東東洋とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 東東洋の意味・解説 

東東洋

読み方あずま とうよう

江戸後期画家陸奥生。名は洋、字は大洋別号に玉峨・白鹿洞、俊太郎・儀称する京都狩野笑に学び、その養子となる。のち円山応挙池大雅等に師事し狩野家を去る。法眼叙せられた。天保10年(1839)歿、85才。

東東洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/19 20:43 UTC 版)

東 東洋(あずま とうよう、宝暦5年(1755年) - 天保10年11月23日1839年12月28日))は、江戸時代中期から後期の絵師。幼名は俊太郎、のち儀蔵。姓・氏は東、名・通称は洋。よって本来は単に「東洋」とするべきだが、本項目では一般的な表記である「東東洋」を採用している(後述)。字は大洋。最初の号は、玉河(玉峨)で、別号に白鹿洞。


  1. ^ 沼津原宿の素封家で、円山派一門と交流が深かった植松家に残る史料より(沼津市史編集委員会編 『原宿植松家日記・見聞雑記』沼津市教育委員会〈沼津市史叢書 3〉、1995年。三浦(2005)pp.23-24)。
  2. ^ 三浦(2005)pp.78-80。
  3. ^ 高岡市立博物館編集・発行 『企画展 高岡の絵師 ─堀川敬周とその弟子たち─』2003年7月12日。
  4. ^ a b 内山淳一 「守景の風景―「四季耕作図」と「納涼図」が語るもの」『国華』第1442号、2015年12月20日、p.11。
  5. ^ 仙台市博物館編集・発行 『特別展図録 伊達政宗―生誕450年記念』 2017年10月7日、第108図。
  6. ^ 京都文化博物館学芸第一課編集 『京都文化博物館開館10周年記念特別展 京(みやこ)の絵師は百花繚乱 「平安人物志」にみる江戸時代の京都画壇』 京都文化博物館、1998年10月2日、pp.118-119。


「東東洋」の続きの解説一覧


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東東洋」の関連用語

東東洋のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東東洋のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2024 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東東洋 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS