はやし‐ふさお〔‐ふさを〕【林房雄】
林房雄
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林 房雄(はやし ふさお、1903年(明治36年)5月30日 - 1975年(昭和50年)10月9日)は、日本の小説家、文芸評論家。大分県大分市出身。本名は後藤 寿夫(ごとう ひさお)。戦後の一時期の筆名は白井 明。戦後は中間小説の分野で活動し、『息子の青春』、『妻の青春』などを出版し舞台上演され流行作家となった。
- ^ a b c d e f g h i 『林房雄』 - コトバンク
- ^ 『あるおんな共産主義者の回想』福永操、れんが書房新社, 1982 p100
- ^ 林房雄ら法定で転向声明『東京日日新聞』昭和8年11月29日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p551 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ ほかには、火野葦平・尾崎士郎ら数百名が政治的発言や行動を禁止された
- ^ 『毎日年鑑』1953、p258
- ^ 『岡田茂吉全集: 著述篇』岡田茂吉、「岡田茂吉全集」 刊行委員会、1994、p561
- ^ 『自傳的交友錄・實感的作家論』平林たい子、文芸春秋新社、1960、p58-62
- ^ 『毎日年鑑』1955、p291
- ^ a b 『林房雄論』三島由紀夫、新潮社、1966、p124
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)23頁
- ^ 三島由紀夫『林房雄論』(新潮社(限定版)、1963年)、『作家論』(中央公論社、1970年10月。中公文庫、1974年、新版2016年)に収録。
- ^ a b 三島由紀夫・林房雄共著『対話・日本人論』(番町書房、1966年)
- ^ 三島由紀夫『尚武のこころ 三島由紀夫対談集』(日本教文社、1970年10月)に収録。
- ^ 徳岡孝夫『五衰の人』(文藝春秋、1996年。文春文庫、1999年。文春学藝ライブラリー(文庫)、2015年)
- ^ 林 1964b
- ^ 林 1965a
- ^ 林 1970
- ^ 『林房雄著作集』林 & 1968-1969、『林房雄評論集』林 & 1972-1974、林 1984
- ^ 林 2001
- ^ 林 2006
- ^ 林 2014
- ^ 西谷格 (2018年3月29日). “禁断の書『大東亜戦争肯定論』がいま台湾で読まれている背景”. NEWSポストセブン. 2018年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月13日閲覧。
- ^ 「繭 獄中記 白夫人の妖術」が『日本文学全集 66 林房雄・檀一雄集』に収録(集英社、1969年、新版1975年)
- ^ 横山まさみち作画で劇画化(新版:講談社+ガイドワークス など)
- ^ 晩年の編集担当者だった。
- ^ 全8巻予定、未刊は「3 日本よ美しくあれ」、「5 日本への直言」、「7 文芸時評」、「8 悲しみの琴」
- ^ 「随筆池田勇人」の改訂再刊。池田・林は、共に第五高等学校の出身。
- ^ 「青年」は『日本の文学40 林房雄 武田麟太郎 島木健作』(解説・付録対談は三島由紀夫。中央公論社、1968年、普及版1974年)、および『現代日本文学館28 林房雄 島木健作』(文藝春秋、1969年、解説:河盛好蔵)に収録。
- ^ 他に「神武天皇実在論」を収録。富岡幸一郎と島田雅彦の解説対談。
- ^ 他に三島由紀夫「林房雄論(抄)」、林房雄「悲しみの琴―三島由紀夫への鎮魂歌(抄)」
- ^ 保田與重郎、飯守重任、筑波常治、葦津珍彦、浅野晃、田中忠雄、嘉悦康人、村松剛、勝部真長、藤島泰輔、黛敏郎と対話。
- ^ 中心になって編んだ作家作品論、冒頭に村松剛と対談、のち『日本文化を考える 村松剛対談集』(日本教文社、1979年)に収録。
林房雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)
小説家、文芸評論家。三島が22歳の時に知り合い、生涯にわたって親しく交流した。三島は林の〈人間的魅力〉に惹かれたと語っている。三島は『林房雄論』を書き、2人の対談の共著『対話・日本人論』もある。三島の自決後、林房雄は憂国忌の運営に積極的に携わった。追悼書『悲しみの琴』(1972年)には、林とも親しかった川端康成の序文が添えられている。
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