柳井恒夫 (外交官)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/19 01:24 UTC 版)
柳井 恒夫(やない ひさお[1]、1895年(明治28年)11月6日[1] - 1981年(昭和56年)7月21日[1])は、大正・昭和期の外交官、弁護士。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『日本近現代人物履歴事典』534頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『新版 日本外交史辞典』1010頁。
- ^ 省内に戦時調査室を設置(昭和17年12月2日 東京日日新聞(夕刊))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p43 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ a b “[時代の証言者]外交の力 信じて 柳井俊二<2>敗戦予感した5歳児 : 時代の証言者 : 企画・連載”. 読売新聞オンライン (2022年2月28日). 2022年3月2日閲覧。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- 1 柳井恒夫 (外交官)とは
- 2 柳井恒夫 (外交官)の概要
- 柳井恒夫_(外交官)のページへのリンク