梅70系統の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 23:50 UTC 版)
「都営バス青梅支所」の記事における「梅70系統の歴史」の解説
「#年表」も参照 青梅支所開設後、最初に開通した路線である。1949年(昭和24年)の開通当初は、青梅(現:青梅車庫)停留所を起点に、青梅街道に沿って、北裏・荻窪駅まで足を伸ばしていた。1960年(昭和35年)に阿佐ケ谷駅まで延伸されて路線が完成した。1976年(昭和51年)に青梅駅の停留所を青梅街道上から移設し、青梅駅前への乗り入れを開始した。 昭和59年度(1984年度)より、路線存続のため沿線自治体から補助金を受けることになる。これに伴い、補助金を支出していなかった東京23区と当時の保谷市の区間が廃止されることとなり、1984年3月31日をもって田無本町二丁目(現:田無町二丁目) - 阿佐ヶ谷駅間が廃止された。なお当時の田無市は補助金を支出していたため、田無市と保谷市の市境である田無本町二丁目までに短縮された。なお、終点の停留所名は「田無本町二丁目」であったが、バスの方向幕の行先表示には単に「田無」とだけ書かれていた。 田無本町二丁目停留所は青梅街道上にあり、付近に折り返し設備がないため、到着後はかつて東伏見操車所があった場所まで回送して折り返ししていたが、閉鎖後は西武柳沢駅付近を経由して回送するようになった。そのため、1992年(平成4年)に終点を田無本町二丁目から西武柳沢駅(停留所名は柳沢駅前)へ延伸している。 東伏見操車所については「都営バス杉並支所#東75→(旧)宿75系統」を参照 平成27年度(2015年)より、西東京市が梅70系統への補助金の支出を終了した。これにより西東京市内の区間が廃止されることとなり、2015年3月31日をもって小平合同庁舎前 - 柳沢駅間を短縮。翌4月1日より小平合同庁舎前から花小金井駅(小平市花小金井)へ乗り入れる経路に変更された。 廃止となった小平合同庁舎前 - 柳沢駅間(さらに古くは小平合同庁舎 - 関町二丁目間)には、西武バス吉64系統との重複区間があり、都営バスと西武バスの共通定期券の取り扱いも存在したが、2015年の区間短縮とともに取り扱いを終了している。 「西武バス滝山営業所#小金井・吉祥寺線」も参照 2019年(令和元年)9月30日に西多摩保健所が東青梅駅南口へ移転したことに伴い、翌10月1日より「西多摩保健所」停留所が「師岡町三丁目」に改称された。 経路の変遷 1949年(昭和24年):青梅 (現:青梅車庫) - 青梅駅 (青梅街道上) - 東青梅 - 箱根ケ崎 - 横田 - 大和操車所 - 青梅橋 - 昭和病院 - 花小金井 (現:小平合同庁舎) - 田無町 (現:田無駅入口) - 柳沢駅下 (現:柳沢駅通り) - 東伏見 - 北裏 - 関町二丁目 - 善福寺 - 荻窪駅 1960年(昭和35年):青梅 - 青梅駅 (青梅街道上) -〈中略〉- 昭和病院 - 花小金井 - 田無町 - 柳沢駅下 - 東伏見 - 北裏 - 関町二丁目 - 善福寺 - 荻窪駅 - 阿佐ケ谷駅 1976年(昭和51年):青梅 - 青梅駅前 -〈中略〉- 昭和病院 - 花小金井 - 田無町 - 田無本町二丁目 - 柳沢駅通り - 東伏見 - 北裏 - 関町二丁目 - 善福寺 - 荻窪駅 - 阿佐ケ谷駅 1984年(昭和59年):青梅車庫 - 青梅駅前 -〈中略〉- 昭和病院 - 小平合同庁舎 - 田無町 (現:田無駅入口) - 田無本町二丁目 1992年(平成4年):青梅車庫 - 青梅駅前 -〈中略〉- 昭和病院 - 小平合同庁舎 - 田無駅入口 - 田無本町二丁目 - 柳沢駅前 2015年(平成27年):青梅車庫 - 青梅駅前 -〈中略〉- 昭和病院 - 小平合同庁舎 - 花小金井駅
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