森田思軒とは? わかりやすく解説

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もりた‐しけん【森田思軒】

読み方:もりたしけん

[1861〜1897翻訳家新聞記者岡山生まれ本名文蔵報知新聞入社ベルヌの「十五少年」、ユゴーの「探偵ユーベル」などを翻訳紹介


森田思軒

読み方もりた しけん

西滸、岡山県生、慶応卒、矢野龍渓に従う。新聞記者翻訳文芸家。明治30年1897)歿、37才。

森田思軒(もりた・しけん)

本名森田文蔵1861年(文久1)、岡山県笹岡生まれ。別名羊角山人白蓮庵主人、紅芍園主人。英語の逐語訳で有名となり、翻訳王と呼ばれた翻訳文体は思軒調とも呼ばれた矢野龍渓師事し弟子原抱一庵
1882年(明15)、報知社入社
1887年(明20)、ヴェルヌの「仏曼二学士の譚」を訳す。
1888年(明21)、笠峯居士名義で「幻影」を発表
1897年(明30)、死去死に際しては、蔵書を「思軒文庫」としてまとめ、黒岩涙香贈った



森田思軒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/16 13:08 UTC 版)

森田 思軒(もりた しけん、1861年8月26日文久元年7月21日[注 1] - 1897年明治30年)11月14日)は、日本ジャーナリスト翻訳家漢文学者。本名は文蔵。別号に埜客(やきゃく)、羊角山人(ようかくさんじん)、白蓮庵主人(びゃくれんあんしゅじん)、紅芍園主人(こうしゃくえんしゅじん)など。


注釈

  1. ^ 誕生日は『日本大百科全書』では文久元年7月21日(1861年8月26日)である。一方、『朝日日本歴史人物事典』では文久元年7月20日(1861年8月25日)とされている。

出典

  1. ^ 森田思軒没す『新聞集成明治編年史. 第十卷』(林泉社, 1940)
  2. ^ 倉敷ぶんか倶楽部(2011)
  3. ^ 谷口(2000)
  4. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)28頁
  5. ^ 国会図書館レファレンス


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