【機動部隊】(きどうぶたい)
機動部隊
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機動部隊(きどうぶたい)とは、機動性の高い部隊。陸軍では、戦車・装甲車などを装備した部隊を、海軍では、航空母艦を中心に巡洋艦・駆逐艦で編制された部隊を意味する[1]。城砦・陣地、洋上戦における泊地や港などの「機動出来ない戦闘部隊」である守備兵力の対語である[2]。
- ^ デジタル大辞泉
- ^ 松村劭 2007, p. [要ページ番号].
- ^ a b c 松村劭 2006, p. [要ページ番号].
- ^ a b 戦記シリーズ & 72, p. 74.
- ^ 戦記シリーズ & 72, p. 69.
- ^ 戦記シリーズ & 72, p. 67.
- ^ 提督小沢治三郎伝刊行会 編『提督小沢治三郎伝』原書房、1994年、41頁。ISBN 978-4562025671。
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 編『大本営海軍部・聯合艦隊(3)昭和十八年二月まで』 77巻、朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1974年、318頁。
- ^ 戦記シリーズ & 72, p. 113.
- ^ 戦記シリーズ & 72, p. 98.
- ^ 戦記シリーズ & 72, p. 99.
- ^ 戦記シリーズ & 72, pp. 101–102.
- ^ 戦記シリーズ & 72, p. 25.
機動部隊
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詳細は「マリアナ沖海戦」を参照 霜月は6月6日付で第一機動艦隊(司令長官小沢治三郎海軍中将・海兵37期)に編入され、次いで6月10日付で第十戦隊(司令官木村進海軍少将・海兵40期)に編入される。佐世保に回航され、第一機動艦隊宛の機銃その他の物件を搭載し、同地を出撃する。6月14日、ギマラスへ進出途上の第一機動艦隊と合流し、マリアナ沖海戦に参加する。6月19日、小沢長官直率の甲部隊では第一航空戦隊の空母大鳳がアメリカ潜水艦アルバコアの雷撃により、空母翔鶴がアメリカ潜水艦カヴァラの雷撃により沈没した。海戦第二日目の6月20日、小沢長官直率の甲部隊(空母〈瑞鶴〉、第五戦隊〈妙高、羽黒〉、第十戦隊〈軽巡矢矧、駆逐艦磯風、浦風、初月、若月、秋月、霜月、朝雲〉)は輪形陣を形成する。霜月は2機撃墜を報じ、被害なく切り抜けた。6月22日に中城湾に寄港の後、6月24日に柱島泊地に帰投する。6月28日、霜月と若月は軽巡大淀(聯合艦隊旗艦)を護衛して横須賀に向かった。横須賀に到着後、横須賀海軍工廠で機銃増備と13号電探の設置工事が行われた。 7月5日、若月と霜月は横須賀を出港して呉に移動した。呉に到着後は遊撃部隊乙部隊に加わり、第十戦隊(旗艦〈矢矧〉、第17駆逐隊〈磯風、浜風〉、秋月型〈若月、霜月〉)は軍艦3隻(戦艦金剛、戦艦長門、重巡最上)を護衛して7月8日に呉を出撃する。乙部隊は沖縄本島に配備される陸軍部隊を中城湾で降ろす。次いでマニラで軍需品を陸揚げしたあと、7月20日にリンガ泊地へ到着した。 霜月がマニラ停泊中の7月15日、日本海軍は霜月と冬月で第41駆逐隊を編成する。「霜月」はリンガ泊地で訓練を行っていたが、連合艦隊より輸送船団を護衛しての内地帰投を命じられる。8月4日に昭南(シンガポール)を出港するヒ70船団に加わって日本本土に向かった。 8月4日(8月5日)、ヒ70船団は護衛艦(練習巡洋艦〈香椎〉、空母〈神鷹〉、駆逐艦〈霜月〉、海防艦〈千振、佐渡、第十三号、十九号〉)とタンカーおよび貨物船8隻でシンガポールを出発した。途中でマニラから来た球磨型軽巡洋艦北上を船団に加え、海防艦佐渡はヒ71船団護衛のため分離する。8月15日、ヒ70船団は門司へ戻った。香椎はひきつづき船団護衛任務を続行、神鷹は呉へ、北上は佐世保へ、霜月は横須賀へ、それぞれ回航された。 同時期、アメリカ軍機動部隊が硫黄島や小笠原諸島に空襲を敢行していた。これに対処するため連合艦隊は空母「雲龍」を基幹とする急襲部隊(指揮官小西要人雲龍艦長)を編成した。空母雲龍、長良型軽巡五十鈴、第41駆逐隊(霜月、冬月)という戦力であった 。急襲部隊は第三航空艦隊(司令長官吉良俊一中将)の指揮下に入り、雲龍は東京湾に進出した。第41駆逐隊は、すみやかに雲龍と合流するよう命じられていた。霜月は直ちに横須賀へ移動した。当時、連合艦隊旗艦の軽巡大淀も東京湾におり、大淀の水上偵察機は雲龍以下急襲部隊の対空射撃訓練に協力した。雲龍が出動する事態は生起せず、9月下旬には機動部隊に復帰命令が出される。9月26日横須賀を出発、瀬戸内海に回航される。翌日、3隻(雲龍、霜月、冬月)は呉に到着した。 10月9日、第41駆逐隊(冬月、霜月)は内海西部から横須賀に移動する。同地で軽巡大淀と合流した。大淀は横須賀海軍工廠での修理と整備を終え、第三艦隊(小沢機動部隊)に編入されていた。10月12日、第41駆逐隊は大淀を護衛して横須賀を出港し、大分に向かう。同日夕刻、御前崎の173度80海里の遠州灘に差し掛かったところでアメリカ潜水艦トレパンの雷撃を受けた。魚雷命中により、冬月は艦首部位を失った。冬月は呉海軍工廠にて修理を実施、レイテ沖海戦に参加できなくなる。脇田喜一郎大佐(41駆司令)は司令駆逐艦を冬月から霜月に変更した。
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機動部隊
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5月10日、駆逐艦4隻(秋霜、早霜、響、電)は機動部隊(司令長官小沢治三郎中将)に編入される。5月11日、駆逐艦複数隻(夕雲型〈秋霜、早霜、玉波〉、第27駆逐隊〈時雨〉、第4駆逐隊〈満潮、野分、山雲〉)は大和型戦艦武蔵、空母6隻(第二航空戦隊〈隼鷹、飛鷹、龍鳳〉、第三航空戦隊〈千歳、千代田、瑞鳳〉)を護衛して佐伯を出撃し、タウイタウイに向かう。5月16日、艦隊はタウイタウイ泊地に到着した。早霜は同泊地で待機する。 日本海軍機動部隊が待機地点としたタウイタウイ泊地周辺には、アメリカ海軍潜水艦が頻繁に出没していた。機動部隊の駆逐艦も対潜哨戒に従事するが、逆に複数隻(風雲〔6月8日、渾作戦従事中〕、水無月〔6月6日〕、早波〔6月7日〕)を喪失する。6月9日、泊地外に敵潜水艦出現の報告により、早霜は第17駆逐隊2隻(磯風、谷風)、二水戦僚艦島風に従って出動する。横列陣で対潜掃蕩中の夜、谷風が米潜水艦「ハーダー」の雷撃により、僚艦3隻(磯風、早霜、島風)の目前で轟沈した。残存3隻(磯風、早霜、島風)は、応援にきた夕雲型駆逐艦沖波(第31駆逐隊)と共に谷風生存者を救助した。 詳細は「マリアナ沖海戦」を参照 6月19日のマリアナ沖海戦では、機動部隊乙部隊(第二航空戦隊〈隼鷹、飛鷹、龍鳳〉、戦艦〈長門〉、重巡洋艦〈最上〉、護衛艦〔第4駆逐隊〈満潮、野分、山雲〉、第27駆逐隊〈時雨、五月雨〉、第17駆逐隊〈浜風〉、夕雲型駆逐艦〈秋霜、早霜〉〕、指揮官城島高次少将兼第二航空戦隊司令官)に編入された。6月20日の対空戦闘において、乙部隊では空母飛鷹が沈没する(他に空母隼鷹等が損傷)。早霜以下各艦は共同で飛鷹の乗組員の救助にあたった。海戦後、燃料不足となった駆逐艦部隊(早霜、時雨、浜風、満潮、秋霜)は機動部隊本隊から分離、22日には早霜と満潮が時雨に対し燃料補給を実施する。6月22日夜、沖縄の中城湾に到着した。第一機動艦隊の大部分も同地に集結する。6月23日午後、駆逐艦5隻(浜風、早霜、秋霜、時雨、五月雨)は第七戦隊(司令官白石万隆少将)の重巡洋艦4隻(熊野、鈴谷、利根、筑摩)を護衛して日本本土へ向かった。6月24日、柱島泊地に帰投した。 6月29日-30日、夕雲型2隻(早霜、秋霜)は第五戦隊司令官橋本信太郎中将(海兵41期)の指揮下、妙高型重巡洋艦2隻(妙高、羽黒)を護衛して内海西部を出発した、シンガポールへ向かった。マニラを経由して、7月12日シンガポール到着した。同地で修理と整備をおこない、リンガ泊地に移動した。
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機動部隊
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「磯風 (陽炎型駆逐艦)」の記事における「機動部隊」の解説
第十七駆逐隊は「浦風」、「磯風」、「浜風」、「谷風」の4隻で太平洋戦争に臨んだ。開戦時の第十七駆逐隊(司令杉浦嘉十大佐:司令艦谷風)は第一水雷戦隊に所属。機動部隊に加わり、真珠湾攻撃に参加した。12月8日の第一次攻撃隊発艦時、機動部隊は第六警戒航行序列をとっており、「磯風」は空母「瑞鶴」の後方を航行していた。その後も機動部隊と共にラバウル攻略、ダーウィン空襲にジャワ島攻略、セイロン沖海戦の各作戦に従事する。 1942年2月25日、機動部隊はスラウェシ島スターリング湾を出発、ジャワ島南方へ進出する。 「蘭印作戦」も参照 3月1日、ジャワ海方面で活動中の機動部隊はオランダ武装商船「モッドヨカード」(8000トン級)と遭遇。「磯風」は駆逐艦「不知火」、「有明」、「夕暮」等と協力して「モッドヨカード」を撃沈した。 3月6日、第二航空戦隊(空母飛龍、蒼龍)、第三戦隊第二小隊(榛名、金剛)、第十七駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)は機動部隊主隊から分離。翌日、「浜風」、「磯風」が第二航空戦隊の護衛となり、他4隻がクリスマス島砲撃を行った。守備隊は白旗を掲げたため、同島攻略は容易と判断され、のちに攻略作戦が実施された(日本軍のクリスマス島占領)。3月9日、第二航空戦隊・第三戦隊第二小隊・第十七駆逐隊は主隊に合同した。 3月28日午前3時過ぎ、敵掃海艇らしき艦が機動部隊に対して反航しているのが確認され、軽巡洋艦「阿武隈」は「磯風」に確認を命じた。出向いた「磯風」が確認したところ、それは駆逐艦「秋風」であった。 4月4日、インド洋方面で行動中、連合国軍飛行艇が機動部隊に触接したため零戦隊がこれを撃墜し、「磯風」は搭乗員6名を救助した。勝ち戦なので余裕があり、また「磯風」初の捕虜ということで待遇を良くして豪華な食事を出していた。それから捕虜は空母「赤城」に移送されたが、のちに同艦砲術長から「磯風で甘やかしたから(赤城でも)捕虜が贅沢を云って困る」と苦情を言われたという。 1942年4月の第十戦隊(旗艦:軽巡洋艦長良)新設に伴い第十七駆逐隊もこれに所属し、引き続き機動部隊を護衛した。4月16日、「磯風」は補給部隊(東栄丸、日本丸、国洋丸、神国丸)の護衛艦として機動部隊主隊と分離し、呉へ向かった。4月20日、兵力部署の改定が正式に下令されて第十七駆逐隊は第一水雷戦隊(阿武隈)の指揮下を離れた。 「蒼龍 (空母)#ミッドウェー海戦」も参照 6月上旬、第十七駆逐隊はミッドウェー作戦に参加。6月5日のミッドウェー海戦ではアメリカ軍空母艦載機SBDドーントレスの攻撃を受け、至近弾で一時的に航行不能になるも復旧に成功。一方で速力低下を起こしたため水雷戦隊に随伴できず、被弾炎上する第二航空戦隊の空母「蒼龍」救援を命じられた。「蒼龍」が沈没すると、「磯風」は「浜風」と共に「蒼龍」乗組員を救助した。また、重巡洋艦「筑摩」が「蒼龍」救援のため残置した短艇乗組員も「磯風」が回収している(カッターは放棄)。戦闘後、「磯風」は「蒼龍」の救助者を水上機母艦「千代田」に引き渡した。この戦闘で「磯風」、「谷風」、「荒潮」は入渠修理を要する被害を受けた。
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機動部隊
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「ブラック・ウィドウ (映画)」の記事における「機動部隊」の解説
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機動部隊
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「マーベル・シネマティック・ユニバースの設定・用語一覧」の記事における「機動部隊」の解説
男性の兵士たちで構成される戦闘部隊。赤外線付きのフルフェイスヘルメットやプロテクター各種、CZ スコーピオンEVO3 A1で武装し、本部内の警備と現場での実戦を兼務するが、単身のエレーナやメリーナに容易くあしらわれていることから、兵士一人ひとりの実戦能力はウィドウズに及ばない様子である。
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機動部隊
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計6個連隊、1個大隊。 ジブチ市に機甲連隊と砲兵連隊、アルタ市に即応機動連隊、ディキル、アリ・サビエ、タジュラ、オボックに混成歩兵連隊が配備されている。 機甲連隊(RégimentBlindé)×1(ジブチ)(1偵察中隊、3機甲中隊、および密輸防止中隊を含む) 歩兵連隊×4 - それぞれ3~4歩兵中隊と1支援中隊から成るディキル混成歩兵連隊(Régiment interarmes de Dikhil) - ディキル駐屯 アリ・サビエ混成歩兵連隊(Bataillon interarmes d'Ali Sabieh) - アリ・サビエ駐屯 タジュラ混成歩兵連隊(Régiment interarmes de Tadjourah) - タジュラ駐屯 オボック混成歩兵連隊(Régiment interarmes d'Obock) - オボック駐屯 即応機動連隊(Régiment d'action rapide)×1 - アルタ駐屯 、4歩兵中隊と1支援中隊で構成 共和国親衛隊連隊×1 砲兵連隊(Régiment d'artillerie)×1 - ジブチ駐屯 地雷除去中隊×1 通信連隊×1 コンピューター及び情報システム分隊×1 後方支援連隊×1t 整備連隊×1
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機動部隊
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5月10日、駆逐艦4隻(秋霜、早霜、響、電)は第一機動艦隊(司令長官小沢治三郎中将)に編入される。出撃を前に、高間少将(十一水戦司令官)は連合艦隊、第二艦隊、小沢機動部隊、第二水雷戦隊、第十戦隊など各方面に対し「秋霜と霜月は訓練が十分ではないから、今度も指導に関し配慮してほしい」と要望している。 5月11日、護衛艦艇(夕雲型駆逐艦〈秋霜、早霜、玉波〉、第27駆逐隊〈時雨〉、第4駆逐隊〈満潮、野分、山雲〉)は戦艦武蔵と、空母6隻(第二航空戦隊〈司令官城島高次少将。隼鷹、飛鷹、龍鳳〉、第三航空戦隊〈司令官大林末雄少将。千歳、千代田、瑞鳳〉)と共に佐伯を出撃し、タウイタウイに向かった。5月16日、空母部隊はタウイタウイに到着した。 5月19日附で機動部隊第一補給部隊(油槽船4隻〈日栄丸、建川丸、国洋丸、清洋丸〉、護衛艦〈響、秋霜、浜風、満珠〉)が編成される。22日〜23日、第一補給部隊(満珠欠)は第三補給部隊(油槽船2隻、駆逐艦谷風)と共にタウイタウイを出発する。第三補給部隊分離後の5月24日、護衛中の油槽船建川丸が米潜水艦ガーナードの雷撃で撃沈された。5月25日、第一補給部隊はダバオに到着した。 その後、駆逐艦3隻(響、浜風、秋霜)はダバオ湾(英語版)口の警戒を下令され、ダバオで待機した。第一次渾作戦に従事していた第五戦隊(妙高、羽黒)と扶桑型戦艦扶桑のダバオ帰港の際には、同部隊の護衛にも従事した。6月8日、第10駆逐隊の風雲と朝雲は第五戦隊(妙高、羽黒)を護衛中、アメリカ潜水艦ヘイクの雷撃で風雲が沈没した。救援要請があり、響と秋霜はただちに出動する。救援艦は朝雲と共に救助活動に従事したのち、秋霜は風雲乗員136名をダバオへ送り届けた。 6月11日、内地からきた特務艦速吸および護衛の駆逐艦初霜と栂がダバオに到着する。6月12日、駆逐艦白露の第一補給部隊編入、秋霜の機動部隊乙部隊編入が発令される。だが秋霜と時雨はしばらく第一補給部隊の護衛を続けることになった。6月14日3時30分、第一補給部隊(油槽船〈日栄丸、国洋丸、清洋丸〉、護衛艦〈浜風、響、白露、時雨、秋霜〉)はダバオを出撃した。6月15日未明、駆逐艦白露は不用意に補給船団内を横切ったためタンカー清洋丸と衝突する。白露は時雨の目の前で爆沈した。白露生存者は、救助に向かった浜風に収容された。 6月15日、第一補給部隊は渾作戦参加部隊と合流する。6月16日に特設給油船日栄丸(日東汽船、10,020トン)から燃料補給を受けた後、6月17日に機動部隊と合流し、乙部隊(第二航空戦隊〈隼鷹、飛鷹、龍鳳〉、戦艦〈長門〉、重巡洋艦〈最上〉、護衛艦〔第4駆逐隊〈満潮、野分、山雲〉、第27駆逐隊〈時雨、五月雨〉、第17駆逐隊〈浜風〉、夕雲型駆逐艦〈秋霜、早霜〉〕 指揮官城島高次少将兼第二航空戦隊司令官)に編入された。 詳細は「マリアナ沖海戦」を参照 6月19日-20日のマリアナ沖海戦で日本海軍は大敗した。6月20日の対空戦闘では、乙部隊より空母隼鷹が損傷、姉妹艦の飛鷹が沈没する。乙部隊所属駆逐艦は、飛鷹乗組員の救助にあたる。飛鷹の御真影と勅諭は「秋霜」に奉移された。このあと、燃料不足に陥った駆逐艦5隻(浜風、早霜、時雨、満潮、秋霜)は6月22日-23日に沖縄の中城湾に到着する。第一機動艦隊の大部分も同地に集結した。6月23日午後、駆逐艦5隻は第七戦隊(司令官白石万隆少将。重巡熊野、鈴谷、利根、筑摩)を護衛して日本本土へ向かった。6月24日、柱島泊地に帰投した。 6月29日-30日、早霜と秋霜は第五戦隊司令官橋本信太郎少将の指揮下、重巡洋艦妙高と羽黒を護衛して内海西部を出発する。4隻はシンガポールへ向かった。マニラを経由して、7月12日シンガポールに到着した。同地で修理と整備をおこない、リンガ泊地に移動した。第一遊撃部隊の各部隊・各艦も順次リンガ泊地に進出し、訓練をおこなった。8月8日には、補給船団を護衛してリンガ泊地に進出していた睦月型駆逐艦3隻(卯月、皐月、夕月)の関係者が、秋霜の訓練を見学している。 8月15日、日本海軍は秋霜、早霜、清霜(浦賀船渠建造艦、1944年5月15日竣工)により、第2駆逐隊を新編する。第2駆逐隊司令には、陽炎型駆逐艦浦風初代艦長等を歴任した白石長義大佐が任命された。第2駆逐隊は第二水雷戦隊(司令官早川幹夫少将・海兵44期)に編入される。なお、夕雲型3隻(秋霜、早霜、清霜)の第2駆逐隊は、太平洋戦争における二代目の第2駆逐隊である。
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機動部隊(第一機動艦隊)
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「捷号作戦」の記事における「機動部隊(第一機動艦隊)」の解説
小沢長官は機動部隊指揮官として、3個艦隊を指揮するとされたが、指揮下の第一遊撃部隊が、艦隊主力と遠く離れた海域で活動する本作戦には、作戦指揮に無理があること、個有の航空戦力を持たない第一遊撃部隊が、友軍の航空支援があるとはいえ、単独で行動するのは危険ではないか、と懸念を抱き、9月10日に以下の点を意見具申し、連合艦隊に変更を求めた。 広域での作戦の為、第一機動艦隊が第一遊撃部隊を指揮するのは難しい。機動部隊本隊・第一遊撃部隊・第二遊撃部隊とに区分し連合艦隊が指揮統率するのが妥当 機動部隊(本隊と第二遊撃部隊)の作戦は、現状の航空戦力再建状況では、所望の時期に機動作戦で成果を上げれるほどに回復する見込みがない。 第一遊撃部隊の突入を成功させるためには同部隊の水上戦力強化と直接協力するべき航空戦力の確保が必要 そのため機動部隊本隊は牽制行動を主任務とし、第一遊撃部隊には航空戦隊を1個、及び第二・第十戦隊を早急に配属すべき 第一航空戦隊の再編が間に合えば、機動部隊本隊の兵力を充実し南北からの二個機動部隊の作戦とするべき しかし連合艦隊側はこの具申に対し第一遊撃部隊へ第二・第十戦隊の増強は認めたが、直協航空戦隊の配備と指揮を連合艦隊直轄にすることは反対した。豊田長官は参謀の高田利種を派遣し小沢長官の統一指揮を重ねて要望したが、小沢長官は賛同せず議論は平行線となった。この問題は結局後に起こった台湾沖航空戦で空母航空兵力を陸上基地に転用してすり潰し、機動部隊本隊の航空兵力が120機ほどしかない状態で捷号作戦に挑む羽目になったことで第一遊撃部隊は連合艦隊直率となり、指揮権に関しては小沢の進言通りになることとなった。
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「機動部隊」の例文・使い方・用例・文例
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