歌い奏でる天使たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 21:05 UTC 版)
「ヘントの祭壇画」の記事における「歌い奏でる天使たち」の解説
「合唱の天使」のパネル。 「奏楽の天使」のパネル マリアとヨハネの隣の天使たちを描いた、大きさ 161 cm x 69.3 cm のパネルはそれぞれ「合唱の天使」「奏楽の天使」と呼ばれている。左のパネルには回転式の木製楽譜台の後ろで歌う天使たちが、右のパネルにはパイプオルガンや弦楽器で伴奏する天使たちが等身大で描かれている。デイシスの隣に歌い奏でる天界の住人を配するという構図は、天界の情景を描き出す際に非常によく用いられていたものだった。15世紀のネーデルラントでも、礼拝服を身に着けた天使たちがラテン語で典礼劇を演じるというモチーフは好んで描かれていた。 天使は諸王の王の従者であり、中央パネルのキリストあるいは父なる神につき従っている。これは15世紀初頭の聖人伝 (en:Hagiography) ではごくありふれた内容で、『ヘントの祭壇画』の構成も聖人伝からの影響を受けていると考えられている。『ヘントの祭壇画』の天使たちには、当時のネーデルラント美術で天使を描写するときによく用いられた、天使を特徴付ける事物が一切描かれていない。翼を持たない、顔が理想化されていないなど、当時の作品としては類を見ないほど独特の表現で天使が描写されている。音楽史家スタンレー・ブールマンは『ヘントの祭壇画』の天使たちの描写が非常に俗界的だと指摘し「極めて魅力的な自然主義で描かれているため、鑑賞者たちはこの作品が現代の教会音楽を描写した作品を目にしている気にさせられる」とした。ただしブールマンは「全員を天界に送り返したい」という落ちをつけている。 天使たちが立つ床面は、「イエスの御名」のモノグラムである「IHS」や神の子羊などが染め付けされたマヨリカ陶器のタイルが敷き詰められている。「合唱の天使」のパネルのフレームには「神を讃える歌 (MELOS DEO LAUS)」と記されており、「奏楽の天使」のパネルのフレームには「弦楽器とオルガンで彼を讃える (LAUDATE EUM IN CORDIS ET ORGANO)」と記されている。多くの研究者たちが、パネルが置かれている位置や記録などから描かれている人物像は天使であると見なしている。描かれている天使に性別はなく、その肉付きのよい丸顔は、上段最左端のイヴや外装のエリザベト・ボルルートといった、他のパネルにおける等身大の女性像の写実表現とは対照的である。天使たちが身にまとう赤色や緑色を中心とした豪奢な綾錦は祭壇の前で行われるミサなどの典礼を連想させ、綾錦の織柄のザクロは神の子の母たる聖母マリアに関連付けられる。 「合唱の天使」には譜面台を前に神を讃えて歌う、金髪にティアラをつけた8人の天使が描かれている。楽譜が置かれている譜面台に目を向けている天使はおらず、それぞれまったく別の方向に顔を向けている。ファン・エイクは他のパネルに描かれている人物像の多くと同様に、生命感と動きを表現するために口を開けた表情で天使たちを描いた。ボルシェルトは多彩に描き分けられた口を開けた天使について「それぞれの天使が多声音楽のどのパートを担当しているのかをその表情から見極めたくなってしまう。天使たちの舌や歯の位置まで精密に描き分けられている」としている。美術史家エリザベト・ダネンスは「誰がソプラノで、誰がアルトで、誰がテナーで、誰がバスかは一目瞭然」と主張している。 多くの学者が歌う天使たちの外貌について研究してきた。肉付きのよい輪郭、波打つ長い髪などは共通だが、天使の顔はファン・エイクが意図的にそれぞれの天使ごとに特徴を描き分けている。4人の天使は眉根を寄せており、うち3人は何かを見つめているかのように目も細めている。同様の表情をした人物像が「神の子羊」の十二使徒にも描かれている。オットー・ペヒトは、ヤンがほかの作品に描いた人物像に比べて天使たちの描写があまりにかけ離れていることから、天使たちの表情にはフーベルトのもともとのデザインが色濃く残っているのではないかと推測している。 「奏楽の天使」のパネルでは、全身像が描かれているのはパイプオルガンを弾く天使ただ一人である。多くの天使たちが楽器を演奏していると考えられているが、実際に画面に描かれているのは他には4人だけで狭い場所に身を寄せ合うように表現されている。オルガン以外の楽器を担当する天使は小さなハープやヴィオラを手にしている。楽器も非常に精緻に描かれており、とくに聖カエキリアが弾くオルガン金属部分の光の反射など、極めて正確に描写されている。管弦楽法が発展し始めたトレチェントの時代まで、音楽を演奏する天使は翼を持ち、弦楽器か管楽器を手にして聖人や神の周囲に浮かんでいるという構図で絵画作品に描かれることがほとんどだった。1400年代初めに制作されたフランスの装飾写本には、テキストに添えられた挿絵の枠外に、浮かんでいる天使が描かれているものが多い。しかしながらペヒトは、これらの天使について「浮かびながら歌い奏でる」役割は与えられておらず、天使が「演奏」し始めたのは「演奏技術が発達し……教会音楽で理想とされたあらゆる約束事がうまく調和するようになって」からのことだと指摘している。
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