正月大饗とは? わかりやすく解説

正月大饗(律令時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 01:16 UTC 版)

川本重雄」の記事における「正月大饗(律令時代)」の解説

最初に比較行ったのは『九条殿記天慶8年(945)正月5日条の右大臣藤原実頼小野宮で開いた正月大饗の記録と、平安時代末の仁平2年(1152)正月26日左大臣藤原頼長東三条殿聞いた正月大饗である。 正月大饗とは太政官の長が太政官府の部下を招く饗宴であることには平安中期平安末期変わらない。しかしひとつだけ大きく違うところがある。画像920は平安時代末の仁平2年(1152)の席の配置であるが、殿上人座とか諸大夫の座が設けられていることである。これは貴族社会の変化とみて良いが、ただしその席は外記・史などより遠くに、南庭見えない裏側北側)の場所に隔離され、それによって大饗有職故実維持している。

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正月大饗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:55 UTC 版)

寝殿造」の記事における「正月大饗」の解説

正月大饗は太政官である大臣が開くが、東三条殿場合画像920のように寝殿母屋尊者主賓)と公卿、西庇の間の弁・少納言外記と史が西北渡殿複廊)で内郭の床の上下級職員の史生が庭の中島ここまで太政官の職員である。太政官でない四位五位官人招かれてはいるが、内裏や院御所昇殿許されている殿上人北西渡殿複廊)であるに対し地下(じげ)の諸大夫西中門廊である。

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