歴史と言語純化運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:37 UTC 版)
アルタイ山脈付近に居住していたテュルク語族に属するオグズ族は8世紀頃より西進をはじめ、13世紀末には小アジアでオスマン帝国を建国した。オスマン帝国は周辺諸国を次々と征服して大国となり、それにともなって彼らの言語も15世紀頃には書記言語となった。これをオスマン語と呼ぶ。オスマン語は広く使用されたが、アラビア語やペルシア語からの語彙借用が非常に多く、また使用されていたアラビア文字はトルコ語の発音とかみ合わなかったため、表記には必ずしも適していなかった。 1923年にトルコ共和国が建国されると、政権を握ったムスタファ・ケマル・アタテュルクは言語改革を強力に推し進め、1928年には文字をアラビア文字表記からラテン文字表記に改め、古語からの語彙の復活や新造語によって旧来のアラビア語・ペルシア語からの借用語を置き換えるなどの改革を行い、これによって現代トルコ語が確立した。ただし両言語からの借用語は非常に多岐にわたっていたために完全に置換することはできず、言語改革後も多くの借用語がいまだ存在している。
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