れきし‐ものがたり【歴史物語】
歴史物語
歴史物語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:59 UTC 版)
『六代勝事記』:承久の乱を後鳥羽上皇が不徳の「悪王」であったことに原因があるとしている。 『増鏡』:前述の北条義時と泰時の逸話と後鳥羽上皇の隠岐での様子を伝える。
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歴史物語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:39 UTC 版)
社会が変貌するなかで、貴族はもはや自己の現実生活のなかから題材をみいだすことが難しくなり、『源氏物語』ののちは創作物語にはこれをしのぐものがなかった。その一方で、時代が転換期を迎えたことを多くの人びとが感じとり、そのなかで歴史を冷静にみつめる視点が育まれて『栄花物語』や『大鏡』などの歴史物語があらわれた。 11世紀の赤染衛門作と伝えられる『栄花物語(栄華物語)』正編(巻1-30)は、六国史のような中国風の正史とは異なり、日本独自の物語というかたちで歴史をまとめたものである。藤原道長の一生を描き、摂関時代に古きよき時代を見いだしており、全体的に事実を列挙する叙述に終始し、歴史的批判精神には乏しい。しかし、過去の栄光をしのびながらも、歴史を扱った書としてはじめて仮名書き、編年体で書かれており、また、人物の容姿描写、年中行事、儀式、服飾、物忌に関する記述などはすぐれた歴史資料となっている。寛治6年(1092年)には『栄花物語』の続編(巻31-40)が執筆され、筆者は出羽弁とみられている。 『大鏡』は物語が190歳の大宅世継と180歳の夏山繁樹の2人の翁の対話で展開することから『世継物語』とも呼ばれている。文徳天皇から後一条天皇の万寿2年(1025年)に至る14代の歴史を紀伝体で叙述し、戯曲風に構成しており、12世紀初めの成立とみられる。藤原氏全盛の時代を回顧しながらも藤原氏の栄華を客観的に叙述し、貴族社会を反省する視点がうかがわれる。また、座談や問答を採り入れて叙述するなど、これまでの歴史書にない斬新さがみられ、その鋭い叙述は、後世の歴史叙述に強い影響をあたえた。 『大鏡』のあとを受けた伝記・逸話集の『今鏡』は嘉応2年(1170年)成立とみられる。万寿2年から高倉天皇の嘉応2年までの13代145年間を扱い、『続世継』ともよばれ、いわゆる四鏡(鏡物)の2番目にあたる。筆者は藤原為経(寂超)である。
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歴史物語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)
平安時代の『大鏡』『今鏡』を受けて『水鏡』が著されている。いわゆる「四鏡」の第三にあたるが、叙述の対象となっているのは『大鏡』より前の神武天皇から仁明天皇の治世54代の事績である。筆者は、平氏一門と親しく、頼朝や院ともかかわりをもった公家の中山忠親である。長谷寺に参籠した老女がその夜に出会った修験者の語った不思議な体験を書き記したという体裁を採用している。史実は『扶桑略記』をもとに編年体で叙述されており、仏教思想の影響が強いとされる。
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