歴史的景観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 08:28 UTC 版)
甲府盆地北縁の山裾から南流する相川扇状地の扇端部にあたり湧水もあることから近辺には塩部遺跡(甲府市塩部)など古墳時代の集落遺跡が存在し、北口地域ではS字状口縁付台甕(S字甕)などの遺物は散在的に確認されているが、先史・古代から中世期に至るまで集落の存在は不明。 戦国期には甲斐守護武田氏により古府中町に築かれた躑躅ヶ崎館(武田氏居館跡)を中心に甲府城下町(古府中)が形成されるが、北口は城下町の南端にあたり、甲府城下町遺跡の発掘調査では墓域などが検出されている。 江戸時代には独立丘陵である一条小山(丸の内一丁目)に甲府城が築城され、北口地域は内堀で囲郭された内城区域から二ノ丸で囲郭された武家地、三ノ堀に囲郭された町人地の一部にあたる。北口区域には内城から武家地へ通じる甲府城北側の山手門や柳沢城主時代の家老薮田重守の屋敷地、甲府勤番山手役宅や甲府藩士・甲府勤番士の武家屋敷が分布していた。柳沢家老屋敷や甲府勤番役宅の所在地は不明であるが、山手門は所在地が比定されており、甲府市歴史公園の整備に伴い復元されている。 明治初期には武家地が払い下げられ、内堀が埋め立てられた。甲府城域は官公庁用地として開発され、桜小路、先手小路、森下小路がそれぞれ弥生町、水門町、日向町と改められる。また、町人地であった御納戸町や愛宕町、元城屋町の一部も含む。明治初期には県庁主導の殖産興業政策で勧業製糸場が設置された。 1962年(昭和37年)の新住居表示整備都市に指定された時に現在の地名となった。
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