文化遺産
文化遺産(ぶんかいさん、英語: cultural heritage)は、人類の文化的活動によって生み出された有形・無形の所産である。文化財(ぶんかざい、英語: cultural property)ともいう。
文化的所産の中でも特に、価値が高く、後世に残すべきと考えられているものを指していうことも多い[1]。
概要
文化遺産は、広義では人類の文化的活動によって生み出された建造物、遺跡、美術品、音楽、演劇などの有形(不動産・可動文化財)・無形の文化的所産のことをいう。各国政府および国際機関は、文化的所産の中でも学術上、歴史上、芸術上等の価値が高く、後世に残すために保存等の措置が取られるべきものを、特に「文化遺産」あるいは「文化財」と位置づけ、条約、法律、条例等による文化遺産保護制度の対象としている。保護の対象となる文化遺産は、それぞれの制度の制定目的に応じてそれぞれであるが、制度によっては純粋な文化的所産のみならず、天然記念物のような自然の産物が含まれることもある。保護の対象となる文化遺産に対しては指定・登録等の手続きが取られるが、未指定・未登録の文化遺産の中にも貴重なものは多数存在する。
歴史的には必ずしも尊重されておらず、破壊・略奪の対象となり散逸することが多い。また宗教的信念による破壊も歴史的には多く行われる。 たとえばミロのヴィーナスであっても、キリスト教やイスラム教を強く信じる中世の人が発掘したのなら異教の呪われたもので破壊の対象、またそれらを売れば金になるという希望(貨幣経済・交易・文化的な富裕層)がない時代の教養のない民ならば焼いてセメントにするだけである。自己と無関係の文化圏の文化財も含めて尊重するのは近代文明特有の時代精神である。
近年、自然災害によっても失われる文化遺産が多い。補修すれば将来に受け継ぐことができる文化遺産であっても、未指定の物は特に、災害後に撤去されて失われてしまうことがある[2]。自然災害の多発に加え、急激な都市化により文化遺産が市街地の中に埋もれてしまったことに要因がある[3]。2011年東北地方太平洋沖地震においても、被災地に数多くの文化遺産があった[4]。災害からの復興にあたり、文化遺産がはたす精神的な役割は大きい。
世界遺産における文化遺産
国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)は、世界遺産条約に基づく世界遺産の制度を運営している。世界遺産への登録の種類としては「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」「危機にさらされている世界遺産」(危機遺産)があり、優れた価値をもつ建築物や遺跡が「文化遺産」に該当する。文化遺産は、登録を求める地域の政府機関が登録候補地を推薦し、国際記念物遺跡会議が現地調査を行い、世界遺産委員会での審査を経て世界遺産リストに登録される。ユネスコの事業として世界遺産の他に、無形文化財を指定して保護するための無形文化遺産もある。
日本の制度上の文化遺産
日本の文化財保護法では、有形文化財、無形文化財、民俗文化財、記念物、文化的景観、伝統的建造物群の6種類を「文化財」と定義しているが、これらの概念ではとらえられないものの中にも歴史的な価値を有する文化的所産が存在する。文化審議会では、歴史的な価値を有する文化的所産を、文化財を含む広い意味での「文化遺産」と位置づけている。広い意味での文化遺産の例としては、文化的景観、文化財の周辺環境、近代の科学・産業遺産、「文化財の類型の枠を超えて一定の関連性を持ちながら集まった総体」などがあげられている[5]。これらのうち文化的景観に関しては、2004年(平成16年)の文化財保護法改正により、新たに同法上の「文化財」の一種として位置づけられた。
教育機関
以下の日本の大学は文化遺産に関連する教育研究を行っている。
- 京都橘大学 - 文学部文化財学科
- 金沢学院大学 - 美術文化学部文化財学科
- 大阪大谷大学 - 文学部文化財学科
- 鶴見大学 - 文学部文化財学科
- 奈良大学 - 文学部文化財学科
- 別府大学 - 文学部文化財学科
- 徳島文理大学 - 文学部文化財学科
- 吉備国際大学 - 文化財学部文化財修復国際協力学科
- 広島大学 - 文学部人文学科・地理学・考古学・文化財学コース
- 東北芸術工科大学 - 芸術学部美術史・文化財保存修復学科
- 花園大学 - 文学部文化遺産学科
- 人間環境大学 - 人間環境学部歴史・文化環境専攻環境デザインコース
- 京都造形芸術大学 - 芸術学部歴史遺産学科(文化遺産コース、文化財保存修復コース)
- 東京学芸大学 - F類環境教育課程文化財科学専攻
- 奈良教育大学 - 総合教育課程文化財・書道芸術コース(古文化財科学専修、文化財造形専修、書道芸術専修)
- サイバー大学 - 世界遺産学部世界遺産学科(通信制大学)
文化財指定・登録されていない文化遺産
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数多の遺跡が貧しい地域に位置するだけか人目に触れない様になり廃墟化が進みつづあるうち、より一層隠され、見る価値さえ失ってしまいました。
それでも極少ない羣體に一瞬の記憶を引かれるという。
脚注
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- ^ “江東区における文化財保護の考え方としくみ”. 江東区.[リンク切れ]
- ^ 歴史資料ネットワーク
- ^ NPO災害から文化財を守る会
- ^ 立命館大学歴史都市防災研究センター
- ^ 文化審議会文化財分科会企画調査会『文化財の保存・活用の新たな展開 ―文化遺産を未来へ生かすためにー』、2001年
関連項目
- 文化遺産保護制度
- 文化遺産 (世界遺産)
- 文化財
- ヨーロッパ文化遺産の日
- 破壊された文化遺産
- 文化的環境
- 文化的景観
- 産業遺産
- 近代化遺産
外部リンク
歴史遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 06:33 UTC 版)
旧市街に黄金の小屋根(de:Goldenes Dachl)と呼ばれるバルコニーがあり、マクシミリアン1世がチロル公国を継承後、6年目の1496年にこの建物を完成させ、バルコニーから祭りを見物した。この屋根には2,657枚の金の瓦が使用され、当時のチロルの富と繁栄の象徴となった。 インスブルック王宮教会にはマクシミリアン1世の棺があり、生涯をたどった大理石のレリーフが掘り込まれている。アーサー王、皇帝ルドルフ1世、皇帝フリードリヒ3世、ブルゴーニュ女公マリー、ジグムント大公、皇妃ビアンカ、フィリップ美公、カスティーリャ女王ファナら28体の彫像がマクシミリアン1世に参列するという設定で棺の周りに並べられ、棺の上には神に祈るマクシミリアン1世の像が載っている。
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歴史遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 14:46 UTC 版)
ブロックハウス - 第二次世界大戦中にドイツ軍によって教会の尖塔の形で建設された。目的は、視覚的な手掛かりでドイツの標的を爆撃しようとするイギリス空軍のパイロットを欺くためであった。この偽の尖塔は、コミューンの数キロ南にある別の町の尖塔と混同される可能性がある。終戦後、この偽の尖塔を爆発物で破壊する試みがなされてきたが、それは十分ではなかった。現在、ブロックハウスは約20度傾いており、斜塔の名で呼ばれている。 サン・メダール教会 - カレーを領有していたイングランド王国により16世紀に建設され、カンタベリー大司教座の支配下にあった。現在の建物は1863年から1880年の間に建設された。尖塔部分は1914年に建てられたが、塔の残りはメアリー1世時代の1553年に建てられ、町最古の建築物となっており、カレージ地方に残る唯一のイングランド時代の塔である。その後教会全体が建設されたのか、それとも塔と尖塔部分が既存の教会に追加されただけなのかは不明である。 墓地 - コミューンの共同墓地には、ベルギー人およびフランス人の戦没者墓地と、コモンウェルス戦争墓地委員会(CWGC)が管理する戦没者墓地がある。 プラティエ・ドワ国立自然保護区 サン・メダール教会 戦没者追悼碑 仏伯戦没者墓地 CWGC戦没者墓地
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歴史遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 19:43 UTC 版)
壮大な風景、快適な夏の気候、特にマドリードとセゴビアに近い距離は、グアダラマ山脈斜面での数多くの傑出した建築物や記念物の建設に結びついた。 エル・エスコリアル修道院 - 巨大な宮殿、聖アウグスチノ修道会の修道院、美術館、図書館から構成される複合体。厳粛な古典主義の建築家フアン・バウティスタ・デ・トレドがとフアン・エレーラが設計し、1563年から1584年にかけ建設された。UNESCO世界遺産に登録されている。 戦没者の谷(Valle de los Caídos) - アバントス山北面にあり、厚いマツ林に囲まれた国立墓地。スペイン内戦時の戦没者を追悼するためにフランシスコ・フランコの命でつくられた。敷地内にある、フランコ自身が埋葬されているバシリカと同様に、約4万人の戦没者が埋葬されている。花崗岩でできた高さ150mの十字架は、50kmほど離れた場所からも肉眼で確認できる。 サンタ・マリア・デ・エル・パウラル修道院 - 山脈の壮大な風景に周囲を囲まれた、1300年代後半からある大きな回廊を特徴とした修道院。カスティーリャ王エンリケ2世の命で建設され、1876年に国の歴史記念物に指定された。 マンサナレス城 - ラ・ペドリサの麓にある中世の要塞。円柱状の塔のいくつかは15世紀以来のもの。 ペドラサ城 - 同名の自治体ペドラサを守る丘の上に建つ。14世紀に建てられ、16世紀に拡張された。一部は失われてしまっているが、近代に修復され、国の保護下にある。 ラ・グランハ宮殿 - バロック様式。18世紀にフェリペ5世によって建てられた。宮殿の広大な庭園には、芸術的な価値の高い多数の彫刻(神話の人物)が設置されている。
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歴史遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/30 12:16 UTC 版)
計10箇所の建造物や遺跡が国の重要遺産に指定されている。そのうち最も古いのは、ヒルツェベルクにあるモザイク床が特徴のローマ時代の農家屋である。その他の指定物件は以下の通り。 件名所在地旧武器庫 ゲネラル=グイサン通り12番地 旧検疫所 アールブルゲル通り21番地 公立校舎 ゲネラル=グイサン通り14番地 博物館 ゲネラル=グイサン通り18番地 都市図書館 ヒンテーレ中央通り20番地 ハイテルン広場 クレステルリ通り2番地 市庁舎 ラトス通り4番地 酪農場 ヒンテーレ中央通り9番地 酪農場 ヒンテーレ中央通り14番地 また、ツォフィンゲンの街自体も国の遺産に指定されている。 1890年の公立校舎 1715年のツォフィンゲン。城壁に覆われ市街はコンパクトにまとまっている
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歴史遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 20:35 UTC 版)
明治以後の急速な経済発展や関東大震災による被災、第二次大戦時の空襲などによって、沿道が急速に変貌した東海道沿線と異なり、中山道沿線では、江戸時代以前の街道や宿場町が比較的良く保存されて来た。高度経済成長期以後、これらを積極的に保存しようという運動が高まった。特に、重要伝統的建造物群保存地区として選定された長野県の妻籠宿(1976年選定)と奈良井宿(1978年選定)が有名である。他にも、かつての宿場町ではそれぞれ歴史資料館などを整備している。また、奈良井宿と藪原宿の間にあり、日本海(信濃川水系)と太平洋(木曽川水系)の中央分水嶺でもある鳥居峠や、妻籠宿と馬籠宿の間にある馬籠峠では、自然遊歩道としての整備が進められている。 中山道は、約30の大名が参勤交代に利用したと言われている。その中で最大の領地を持つ加賀藩は、江戸藩邸の上屋敷を中山道沿いの本郷に、下屋敷を板橋宿に置いた。そのうち、江戸上屋敷の敷地は明治以後は、東京帝国大学となった。現在の東京大学本郷キャンパスは、国道17号に面している(ただし、国道17号の同キャンパス付近の通称は「本郷通り」と呼ばれ、後述のように「中山道」とは呼ばれていない)。また、かつての中山道に面して建つ加賀藩上屋敷の御守殿門(赤門)は、重要文化財に指定され保存されている。 中山道は、様々な文学作品の舞台ともなった。馬籠宿出身の島崎藤村は、自らの故郷を舞台に歴史小説『夜明け前』を執筆した。現在は馬籠の生家跡に「藤村記念館」がある。
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歴史遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/22 01:18 UTC 版)
美波多神社:美旗地区の神社が合祀されている。 常夜燈:当時街道を通る人達の道しるべとなっていた。初瀬街道沿いの美波多神社の入り口付近にある(寛永元年の物)。東の端にも常夜燈がある(慶応2年に建立。石積みの上に建つ)。 新田用水路:旧青山町(伊賀市青山地区)の高尾から水を引く水路。その長さは3里18町(約15km)にも及ぶ。美旗小学校や美旗古墳群の辺りは「美濃が原」と呼ばれ、この地の開墾を進めるため藤堂高次の命により加納直盛らは東ノ狭間池と大池(上小波田、滝之原)を完成させるが、 決壊や水量不足により新たに加納直盛の子、直堅が事業を受け継ぎ約20年の歳月をかけ完成させた。 井筒屋:新田宿にあった旅籠。旧美旗郵便局の隣の長屋門のある家。大阪の商人が記したと言われる「伊洲尾洲道中記」には伊勢街道で随一の旅籠と記される。宿泊客に絹の寝具でもてなし、お菓子に当時は珍しいこんぺいとうを出していたとも記される。 真性寺:馬頭観音をお祭りするお寺。旧暦の新年初めての午の日に初午祭が行われる。 日時計石:新田用水路から各農家の水田に水を入れる時間を決めていた日時計。
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