比企能員の変
比企能員の変
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:10 UTC 版)
正治2年(1200年)4月1日、時政は遠江守に任じられ、源氏一門以外で御家人として初めて守としての国司となった。時政の幕府内における地位は大いに向上したが、将軍家外戚の地位は北条氏から頼家の乳母父で舅である比企能員に移り、時政と比企氏の対立が激しくなった。建仁3年(1203年)7月に頼家が病に倒れると、9月2日に時政は比企能員を自邸に呼び出して謀殺し、頼家の嫡子・一幡の邸である小御所に軍勢を差し向けて比企氏を滅ぼす。次いで頼家の将軍位を廃して伊豆国修善寺へ追放した(比企能員の変)。
※この「比企能員の変」の解説は、「北条時政」の解説の一部です。
「比企能員の変」を含む「北条時政」の記事については、「北条時政」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 比企能員の変のページへのリンク