治安回復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 15:51 UTC 版)
「9月12日クーデター」の記事における「治安回復」の解説
軍政当局は、クーデター前の政治暴力を収束させるために、左右両陣営の主要人物の拘束を始め、およそ65万名が軍により拘束された。このうち、23万名が起訴され、当局のブラックリストに載せられた人物は実に168万3,000名に上ったとされる。 拘束者の大半は左翼活動への関与を疑われた者であり、左翼勢力の拠点とみなされた大学からは、左寄りとみなされた多くの教員が追放された。当局の徹底した取締りの対象となったのは、当局が特に危険視していた、左翼過激派、労働組合、トルコ民族主義者、イスラーム主義者、クルド民族主義者であり、テロ活動を盛んに行っていた左翼過激派組織の「革命の道(Devrimci Yol)」関係者が摘発されたほか、主要労働組合であるDİSKおよび、トルコ労働者党が活動を禁止された。民族主義者行動党、国民救済党関係者も摘発の対象となり、党首のテュルケシ、エルバカンは逮捕、起訴され、政治活動を禁止された。「灰色の狼」メンバーも、過去のテロ行為の疑いで、数百名が逮捕された。また、クルディスタン労働者党も弾圧の対象となり、同党はシリアに拠点を移すことになった。 こうした一連の治安維持活動により、政治テロの発生件数は、クーデター前の90%以下に激減した。被拘束者がかけられた軍事裁判では、およそ3,600件の死刑判決が出され、このうち20件が実際に執行された。一方で、軍の治安維持活動に伴う失踪者は、数千人に達したほか、多くの被拘束者が拷問を受けたことが知られている。こうした軍政期間中に行われた人権侵害は、現在でも明らかになっていない点が多い。
※この「治安回復」の解説は、「9月12日クーデター」の解説の一部です。
「治安回復」を含む「9月12日クーデター」の記事については、「9月12日クーデター」の概要を参照ください。
- 治安回復のページへのリンク